サウナ・ルームに入った瞬間、周囲は爆笑に包まれた
かくて私は露天風呂から仁王のように立ち上がり、周囲をぐいと睨(にら)みわたして歩き出した。行先はもちろん、シャイな私が最も脅威とするサウナ・ルームである。
明るい。逃げ場がない。そのうえみんながヒマである。したがって特定少数の男どもが、たがいの肉体やツラ構えを鑑賞しつつ時を過ごす。
試練だ、と私は思った。かつて後楽園のボディビル・ジムで三島由紀夫を発見したとき、彼はまったく任意の1人としてバーベルを持ち上げていたではないか。また、青山の鰻屋(うなぎや)でお見かけした井上ひさし先生は、やはり任意の1人として蒲焼を食っていらしたではないか。そうだ、私も正々堂々と任意の1人になろう。
そう決意して、背筋をピンと伸ばし、顔はおろかキンタマも隠さずにサウナ・ルームの扉を開けたのである。
広いサウナ・ルームは筋骨たくましい20人もの男どもで犇(ひし)めいていた。一歩踏みこんだとたん、全員の顔がこちらを向いた。
怯(ひる)んではならない。照れ笑いをしてはならない。私は燃えたぎるストーブの前で両手を腰に当て、40代オヤジの「決め」である栄光のウルトラマン・ポーズをとり、およそ同年輩とおぼしき20人のオヤジどもを、ぐいと睨みわたした。
とたんに、サウナ・ルームの中は大爆笑に包まれたのである。突然の反応に狼狽しつつ私は、きっとこいつらは『鉄道員(ぽっぽや)』や『月のしずく』を読まず、「週刊現代」ばかりを読んでいるのであろうと思った。
「なにか……」
と、私は人々に訊ねた。笑いは笑いを喚(よ)び、サウナ・ルームという拘禁状況と相俟(あいま)って、人々は息も継げぬほど身をよじって笑い続けるのであった。
「あの、なにか……」
近在の棟梁とおぼしき坊主刈のオヤジが、「ひー、くるしいっ」とかうめきながら、慄(ふる)える指先を私の顔に向けた。とっさに、私はすべてを悟った。脱兎(だっと)のごとくサウナ・ルームを駆け出し、鏡の前に立って、私はたまらずに声を上げて笑った。そう――数日分のシラガ染めが、湯気と雨とでドロドロに溶け、私の顔をタドンのごとく真黒に染めていたのである。
ひとしきり笑ってから、フト凍(こご)えついた。
今までは周囲の人々が、わずかの瑕瑾(かきん)も指摘し、叱責してくれた。だがこれからは、顔が真黒になって笑いがこらえきれなくなるまで、誰も、何も言ってはくれないのかもしれない。大いなる福音とともに私に科せられたものは、その孤独だ。
がんばらなくっちゃ。
(初出/週刊現代1997年12月13日号)
浅田次郎
1951年東京生まれ。1995年『地下鉄(メトロ)に乗って』で第16回吉川英治文学新人賞を受賞。以降、『鉄道員(ぽっぽや)』で1997年に第117回直木賞、2000年『壬生義士伝』で第13回柴田錬三郎賞、2006年『お腹(はら)召しませ』で第1回中央公論文芸賞・第10回司馬遼太郎賞、2008年『中原の虹』で第42回吉川英治文学賞、2010年『終わらざる夏』で第64回毎日出版文化賞、2016年『帰郷』で第43回大佛次郎賞を受賞するなど数々の文学賞に輝く。また旺盛な執筆活動とその功績により、2015年に紫綬褒章を受章、2019年に第67回菊池寛賞を受賞している。他に『きんぴか』『プリズンホテル』『天切り松 闇がたり』『蒼穹の昴』のシリーズや『日輪の遺産』『憑神』『赤猫異聞』『一路』『神坐す山の物語』『ブラック オア ホワイト』『わが心のジェニファー』『おもかげ』『長く高い壁 The Great Wall』『大名倒産』『流人道中記』『兵諌』『母の待つ里』など多数の著書がある。