おとなの週末的クルマ考

生産終了後に再び脚光!! 復活待望論が絶えない日産ラシーン

ラシーンは惜しまれつつ一代限りで消滅

1994年にデビューした日産ラシーンは、今で言うところのクロスオーバーカーとして人気となりました。それよりすごいのは生産終了後にジワジワと人気が上昇していることです!!

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今でこそ世界で確固たる地位を築いている日本車だが、暗黒のオイルショックで牙を抜かれた1970年代、それを克服し高性能化が顕著になりイケイケ状態だった1980年代、バブル崩壊により1989年を頂点に凋落の兆しを見せた1990年代など波乱万丈の変遷をたどった。高性能や豪華さで魅了したクルマ、デザインで賛否分かれたクルマ、時代を先取りして成功したクルマ、逆にそれが仇となったクルマなどなどいろいろ。本連載は昭和40年代に生まれたオジサンによる日本車回顧録。連載第27回目に取り上げるのは、クロスオーバーカーの日産ラシーンだ。

1990年代初頭はRVが大人気

バブル崩壊後、1991年に登場した2代目三菱パジェロが大人気となり、クルマ界は空前のクロカンブームに沸き立っていた。クロカンとはクロスカントリーカーの略で、オフロードカー、ヘビーデューティカーとも言われる。今ではクロカンという呼称が使われるケース少なく単にSUVに分類されているが、当時のクロカンが大ヒットしたのはタフさ力強さを持ちながら、オンロード性能の進化、快適性の向上したことが大きい。

あと、家族、友人、カップルで休日にアウトドアを楽しむことが人気となったことから、レジャーを楽しむクルマという大きなくくりでRV(レクレーショナルビークル)と呼ばれて大人気となったのだ。当初はRV=クロカンだったが、ステーションワゴン、ミニバンもRVに加わっていった。

RVブームを受けて、アウトドア雑誌も多数創刊され、自動車雑誌『ベストカー』の姉妹誌としてアウトドアとRVを融合させた『FENEK(フェネック)』が創刊したのも1991年だった。

日産はラシーンを発売し、新感覚のRVであることを大々的にアピール

東京モーターショーで試作車を公開

RVブームの時に日産は、フラッグシップのサファリ、独創的なデザインで人気となった初代テラノ、BOXタイプミニバンのバネットセレナ(後のセレナと改称)&ラルゴ、乗用タイプミニバンのパイオニアであるプレーリーというRVをラインナップしていた。

そして、1993年の東京モーターショーでラシーンコンセプトという試作車を参考出品。クロカンのように背は高くないが、最低地上高は170mmとセダン、ワゴンよりも余裕があり、グリルガード、背面タイヤというクロカンテイストを盛り込んだ新しいコンセプトが大きな注目を集めた。

1993年の東京モーターショーで試作車を出品し大反響だった

東京モーターショー1993での反響が大きくかったため、日産は1994年11月にラシーンの市販化決定、というリリースを出し、翌12月に正式発表となった。ラシーン(RASHEEN)の車名は羅針盤に由来している。

月販目標は1000台と少なめだったため、生産は日産のパイクカー、Be-1、パオ、フィガロを手掛けた高田工業が担当。高田工業で生産、ファニーなデザインということから、パイクカーの第4弾とも言われた。

日産のパイクカー第1弾のBe-1(1987~1988年)は高田工業が手掛けた

時代に逆行するデザイン

東京モーターショー1993で出品されたのがコンセプトカーではなく試作車だったため、市販モデルは若干デザインの細部が修正されているがほぼほぼそのままのデザインで登場。クルマ界は1980年代以降、空力を追求しフラッシュサーフェイス(ボディの段差をなくす)化が当たり前となっていたが、ラシーンはスクエアなボディシルエット、平坦な面構成、立ったAピラーなど時代に逆行していてそれが新鮮だった。ラシーンよりちょっと前にホンダがシビックシャトルをRVテイストにしたシビックシャトルビーグルをデビューさせていたが、洗練度という点ではビーグルだったが、ラシーンのほうが目立っていた。

当時は「子どもが描いたクルマ」みたいと言われたが、レトロチックな雰囲気と相まってそれが大きな個性となっていた。

背面タイヤでクロカンっぽさを演出。ルーフレールもRVには重要なアイテム

第一印象は最悪

筆者はラシーンがデビューした1994年は、クルマ雑誌『ベストカー』の編集部に在籍していた。新型車の撮影会、試乗会などなど職業柄普通の人よりも新型車に接する機会が多いのはまさに役得。新型車についてはすべてと言っていいほど運転させてもらった。

ラシーンはデビュー前の事前撮影会を担当したのだが、実車を目にしての第一印象は、「カッコ悪い」だった。ラシーンのデザインは好き嫌いがはっきり分かれていたが、クルマのデザインに艶っぽさを求める筆者にとってはまったく刺さらなかった。

子どもが描いたようなカクカクボディこそラシーンの真骨頂

しかし不思議なもので、武骨で色気も何もないラシーンだが時間の経過とともに「独特のムードがいいね」に変わっていった。今見ても雰囲気がいいのは、デザインに時間的耐久性がある証拠で、現在の中古車人気(後述)の大きな要因だろう。

ラシーンはなんちゃってRVにあらず!?

ラシーンをデビューさせた日産は、『新感覚のRV』と大々的にアピール。当時のクルマ雑誌などを見ても『新ジャンルカー』と呼ばれていた。当時はクロスオーバーカーという名称はなかったが、ラシーンは今で言うところのコンパクトワゴンとSUV、またはハッチバックとSUVのクロスオーバーカーということになるだろう。

そのラシーンはラシーンが登場する前のモデルとなる(いわゆる旧型)7代目のサニーをベースにパルサーとパーツなどを共有していた。

1.5Lのみでスタートし、1997年に1.8L、2Lを順次追加

エンジンは1.5Lの1エンジンでスタート(後に1.8L、2Lを追加)し、トランスミッションは5MTと4ATが設定されていたが、5MTを買う人は少数派だった。

ラシーンはカッコだけの『なんちゃってRV』などと揶揄する声もあったが、駆動方式は2000年に生産終了となるまでFF(前輪駆動)は設定せず、ビスカスカップリング付きのフルタイム4WDのみ。このあたりは日産の矜持か。

純正ではなくオリジナルのグリルガード、フォグランプ装着が人気だった

CMはドラえもんでスタート

日産はラシーンのCMにドラえもんを起用して、『新・ぼくたちのどこでもドア。RUN!!RUN!!ラシーン新発進。』というキャッチコピーで新感覚のRVをアピール。ドラえもん、どこでもドア、ラシーンというビジュアルに癒された人も多かったはず。ちなみにドラえもんとの契約は1997年11月末までだった。

この青いボディカラーはドラえもんブルーと呼ばれていた

1998年4月に全幅を1720mmに拡幅した3ナンバーボディに2Lエンジンを搭載したラシーンフォルザ(FORZA:イタリア語でガンバレの意味)を追加。そのキャッチコピーは『ラシーンの国へようこそ。ちょっと大きめ ラシーンフォルザ発進。』で、ムーミン&スナフキンが新たなCMキャラクターとなった。キャラクター、実車、風景を巧みに合成した秀作だった。ドラえもん編、ムーミン&スナフキン編ともYouTubeで検索すると視聴できるのでぜひ見てもらいたい。

全幅を1720㎜まで拡幅し2Lエンジンを搭載したラシーンフォルザは 丸4灯ヘッドライトが精悍

走りの実力は?

自分の愛車って乗っているうちにいいところも悪いところもわかってくる。筆者はラシーンを所有していなかったが、前述の『FENEK』編集部用の社用車だったこともあり、隅から隅まで知っているつもり。

走りについては、街中での走行スピードでは非常にキビキビ感があって気持ちいい。やわらかめのアシはワインディングには不向きだが、街中での乗り心地がすこぶるいい。ちょっとフワフワした乗り味が癖になる。

苦手とするのは加速。1210kgの車重に対し105psは特別非力というわけではないが、加速時にエンジンがウォンウォン唸ってうるさい。エンジン音がデカいわりにスピードが出てなくてビックリってこともある。高速道路では100km/hに達してしまえば快適にクルージングできるが、合流車線での加速、減速後の再加速といった時はけっこうダルな感じ。

この写真の縦スリットのグリルは1997年のマイチェン後のモデル

狭いが使い勝手良好

運転席からの視界は広く良好。現代のクルマでボンネットの先端が見えるのは少数派だが、ラシーンはしっかり見え、カクカクしたボディデザインゆえボディの見切りがよく四隅の感覚もつかみやすい。Cピラーは太いが死角が少ないので安心して運転できるのはナイス。RVタイプではあるが背が低いので立体駐車場で重宝した。

今のコンパクトカーに比べるとリアスペースは狭い

一方室内スペースは今のコンパクトカーとは比べようもなく狭くタイト。特にリアシートは大人が4人乗車した状態ではリアのニースペースが狭くてかなり窮屈。おまけにラゲッジも広くはない。

そのラゲッジだが、社用車ラシーンは背面タイヤ仕様だったので、リアゲートを開けるためには背面タイヤが装着されているバーを解除する必要があるため面倒だった。しかしラシーンのリアゲートは上下分割タイプで、運転席のスイッチ操作で上部分のみを独立して開閉可能な優れものだったことを強調しておきたい。

リアゲートの上部の身を独立して開閉できるのはラシーンの魅力

ラシーンは売れたのか?

ラシーンは1994年12月にデビューして2000年8月に生産終了。新たなジャンルに挑んだモデルだったが、その間の総生産台数は7万2793台(日産発表)。ラシーンはデビュー時の月販目標が1000台だったのに対し、1997年1月のマイチェン時に月販目標を1300台に引き上げ。モデルライフ通しての目標台数を計算すると7万8600台となるため、目標には若干届いていないが、まずまず成功と言っていいはず。

そんなラシーンだが、2000年当時は日産はルノーとのアライアンスによる日産リバイバルプランによって大幅な車種整理を展開し、後継モデルの待望論もあったがラシーンは一代限りで消滅してしまった。

ホワイトメーターはスポーティさよりもオシャレさを追求

絶版後にいろいろな作品に登場

ネオクラシックブーム到来によりちょっと古い日本車の人気が高まっているが、生産終了となって10年程度経過した後にラシーンの人気がジワジワと上昇。

まず2012年に放映されたテレビドラマの『私と彼とおしゃべりクルマ』(フジテレビ系列)の重要な役どころであるおしゃべりクルマにサンドベージュのラシーンが使われて話題になったが、決定打となったのは2015年のマンガ『ゆるキャン△』(あfろ著・芳文社)だろう。

今見ても独特なフロントマスク。グリルガードなしはもう少しスッキリ!!

『ゆるキャン△』の主人公のひとり、各務原なでしこの姉である大学生の各務原桜が作品中でラシーンっぽいクルマに乗っていると話題に。実はこの『ゆるキャン△』は、アニメ、ドラマも製作されすべて人気作品となっているが、ドラマでは実車のラシーンが使用されていた。

最新のものでは、2024年4~6月に放映されたTVドラマ『Destiny(デスティニー)』(テレビ朝日系列)の第一話で亀梨和也、石原さとみが乗っていたのがラシーンだった。

絶版になった後にここまで複数の作品に登場するクルマも珍しい。

上下2本の黒いバーは背面タイヤ装着のためのもので、これを解除しないとリアゲートが開かない

中古車選びは慎重に!!

『ゆるキャン△』などの影響もあって需要が激増しているラシーン。需要があれば中古車相場が上がるのが世の常で、実際に中古車の人気が高い。

デビューしてから30年、絶版になってから24年経過しているということで20万km近い過走行車もある一方、2万km程度の極上モノも存在している。新車時の車両価格が200万円前後だったが、300万円を超えるプライスのモデルもある。

中古相場はかなりワイドで、格安の30万円前後のモデルもあるが、年式を考えると安い=程度が悪いと考えるべき。ある程度のものを購入するなら150万円前後は覚悟しておきたい。ただ中古車の場合はアタリハズレがあるため、安心できるお店を探すことが先決となる。

その点ラシーンは中古人気のため専門店が続々登場しているため、ラシーンについて詳しい専門店に相談することをお薦めする。

ラシーンの中古車では、フロントマスクを大胆に変更したモデル、全塗装によりオリジナルのカラーリングを施したモデルが多いのも特徴だ。

ラシーンの中古車は買いか? という問いに対しては古いクルマであること、走りにはそれほど期待できないことを頭に入れたうえで、それでもデザインが刺さるというなら迷うことなく買いだろう。

丸2灯ヘッドランプに交換したモデルは中古でも大人気!!

ラシーン復活待望論

2010年以降から現在までSUVブームが長く続いている。ラシーンは、今発売していればもっと売れたはず、ということから『登場するのが早かったクルマ』の一台にたびたび挙げられる。実際にデビューするのが15年早かったと思う。

SUVのなかでもクロスオーバーカーは一定の需要があり、ラシーンの復活論は根強く存在している。トヨタがランクル70という昭和のクルマに現代の技術を盛り込んで販売しているのと同じことをやってくれ、とまで言わないが、かつてのパイクカーのように少量生産、限定販売でもいいからラシーンのコンセプトを現代に復刻させるのは充分ありだと思う。

コンパクトワゴンまたはハッチバックとSUVのクロスオーバーカーは絶対需要があるはず

【日産ラシーン主要諸元】
全長4115×全幅1695×全高1515mm
ホイールベース:2430mm
車両重量:1210kg
エンジン:1497cc、直列4気筒DOHC
最高出力:105ps/6000rpm
最大トルク:13.8kgm/4000rpm
価格:196万3000円(4AT)

【豆知識】
初代テラノは日本で1986~1995年まで販売されたミドルクラスクロカン。ベースとなっているのはダットサントラックで、北米日産のデザインスタジオであるNDIが手掛けた独創的なデザインで人気となった。初代パジェロとともに初期のクロカンブームの主役となった一台だ。1980年代後半から1990年代前半の日産はラリーに力を入れていて、パリ・ダカールラリー、FIAクロスカントリーラリーなどモータースポーツにも投入され活躍。

Bピラー後方のリアパネル、デザインが秀逸な初代テラノ

市原信幸
1966年、広島県生まれのかに座。この世代の例にもれず小学生の時に池沢早人師(旧ペンネームは池沢さとし)先生の漫画『サーキットの狼』(『週刊少年ジャンプ』に1975~1979年連載)に端を発するスーパーカーブームを経験。ブームが去った後もクルマ濃度は薄まるどころか増すばかり。大学入学時に上京し、新卒で三推社(現講談社ビーシー)に入社。以後、30年近く『ベストカー』の編集に携わる。

写真/NISSAN、ベストカー

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