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確執が大坂夏の陣でのドラマを生んだ

結局、又兵衛は大名に仕えることを諦め、一浪人として、豊臣秀頼が籠城する大坂城に入ります。

長政との確執が、後藤又兵衛の大坂夏の陣での大奮戦というドラマを生むわけですから、歴史は面白いものです。

【福岡城】(別名・舞鶴城)
慶長6(1601)年、関ヶ原の合戦の功によって、筑前52万石を与えられた黒田長政が平安の頃に大陸との交渉窓口であった鴻臚館(こうろかん)跡に築城し、慶長12(1607)年に完成。ここは福崎と呼ばれていたが、かつて黒田一族が興隆した備前の国、福岡村にちなんで福岡と命名した。幅50mを超える巨大な内堀を持ち、47の櫓と10を超える城門があった。大天守、中天守、小天守が連なる巨大な天守台が残り、天守閣があったとすれば熊本城級と想定されるが、徳川幕府を警戒させまいと、天守閣は築かなかったといわれている。 
住所:福岡市中央区城内

福岡城跡 Photo by Adobe Stock

福岡城南二の丸多聞櫓
江戸時代から残る数少ない遺構で国の重要文化財に指定されている。慶長12(1607)年に建てられたが、現在のものは嘉永6(1853)年に再建された。

福岡城の多門櫓 Photo by Adobe Stock

【黒田長政】
くろだ・ながまさ。1568~1623年。永禄11(1568)年、黒田(小寺)官兵衛の嫡男として生まれる。父、官兵衛により、少年時代は後藤又兵衛と兄弟のように育てられる(2人は後に決別)。官兵衛の右腕となり、朝鮮出兵の際には勇猛果敢に戦い名を馳せる。そのいっぽうで、関ヶ原の戦いの直前に秀吉子飼いの武将、福島正則を訪ね、家康方につくことを約束させることで、家康勝利の地固めを行ったほか、小早川秀秋を調略し、寝返らせることにも成功。この功績により筑前52万石を与えられた。

松平定知さん

松平定知 (まつだいら・さだとも)
1944年、東京都生まれ。元NHK理事待遇アナウンサー。ニュース畑を十五年。そのほか「連想ゲーム」や「その時歴史が動いた」、「シリーズ世界遺産100」など。「NHKスペシャル」はキャスターやナレーションで100本以上担当。近年はTBSの「下町ロケット」のナレーションも。京都芸術大学教授、國學院大学客員教授。歴史に関する著書多数。徳川家康の異父弟である松平定勝が祖となる松平伊予松山藩久松松平家分家旗本の末裔でもある。

※『一城一話55の物語 戦国の名将、敗将、女たちに学ぶ』(講談社ビーシー/講談社)から転載

※トップ画像は「Webサイト 日本の城写真集」

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