ターボはハイパワーと燃費を両立
1970年代後半から1980年代にかけて日本車は高性能化が顕著だった。その象徴のひとつがターボエンジン。1979年に日産がセドリック/グロリアで日本車初のターボエンジンを登場させ、三菱もそれに続いたが、ホンダは静観。ホンダの言い分は、「ちょっとパワーアップさせるだけならターボである必要はない」というもの。
静観していたホンダだったが、1982年に初のターボエンジンを初代シティに搭載。ホンダがターボエンジンを搭載した裏には、当時極悪と言われていたターボの燃費を改善し、ハイパワーと燃費性能をホンダが納得できるレベルで両立できたことにある。
初のターボエンジンは100ps/15.0kgmのスペックも素晴らしいが、当時の燃費基準である10モード燃料消費率は18.6km/L、60km/h時燃料消費率は27.0km/L(ともに運輸省届出値)で、これはターボエンジンとしてはナンバーワンの燃費性能を誇った。
その一方で、ある回転域から一気にターボパワーが盛り上がる、ユーザーにとってわかりやすい演出をしていたことも人気となった重要なポイントだろう。
ブリスターフェンダーのターボII登場
シティターボはユーザーからウケて人気となったが、ホンダは開発手を緩めず、1983年にはターボエンジンにインタークーラーを装着。『ブルドッグ』と呼ばれているシティターボIIを登場させた。ターボIIはエンジンのスペックアップ(最高出力は10ps、最大トルクは1.3kgmアップ)と同時に、大きく膨らんだボンネット、ホンダがダイナミックフェンダーと命名した前後のブリスターフェンダーなどが装着されひと目で違うとわかるデザインで差別化された。ワイドボディによりトレッドは前が30mm、後ろが20mm拡大し、走行時のスタビリティも進化させた。
エンジン型式はターボと同じERターボのままだが、ターボII専用に燃焼室形状を変更してアンチノック性能を向上。クラスに初となるインタークーラーの装備で、当時世界最高クラスとなる過給圧0.85kg/cm2を達成していたのも特筆ポイント。
さらにエンジン回転数が4000rpm以下でスロットルを全開にした場合、過給圧を10秒間約10%アップさせる『スクランブルブーストを採用するなど機能てんこ盛り!! ジャジャ馬的と言われていたが、わかりやすいのがいい。
ワンメイクレースも開催
ホンダはターボIIの登場後にワンメイクレースも開催。鈴鹿サーキットでの『ブルドッグレース』は多くの若者が参戦。マシンはシティターボIIをベースに、由良拓也氏率いるムーンクラフトがデザインし、無限が製作したワイドボディキットを装着。ド迫力のボディで見た目も精悍。
レースそのものもヒートアップしおおいに盛り上がりを見せていたが、何せジャジャ馬的なマシンゆえ、アクシデントも多発。「あのマシン、転ぶんだよな」とはインディ500などに参戦経験のあるレーシングドライバーの松田秀士氏のコメントだが、本当にレース中に転倒したらしい。
このブルドッグレースは、ステップアップを目指す若手ドライバーの登竜門にもなっていて、その後日本のトップドライバーになった人も少なくない。