ライバルに比べて販売面で苦戦
歴代プレリュードの販売台数は初代が約4万台、2代目が約17万台、3代目が約17万5000台、4代目が8万5000台。2代目、3代目の爆発ヒットぶりが目につくが、バブル崩壊後の冷え切った状態にデビューしながら4代目も健闘していた。それに対し5代目は約1万5000台で歴代で圧倒的に少ない。
プレリュードが販売面で苦戦した要因として、1994に登場したオデッセイによるミニバンブームによりスペシャルティカー受難だったというのはあるが、当時ライバルだったトヨタセリカ(1993~1999年)が約9万台、三菱FTO(1994~2000年)が約4万台、売れなかったと言われる日産シルビア(S14:1993~1999年)が実は約8万5000台を販売実績を残している。どのライバルたちも5代目プレリュードがデビューした1996年以降は販売を落としてはいたが、それにしてもプレリュードは少なすぎる。
敵は身内にあり
プレリュードの販売苦戦の要因として筆者は、『敵は身内にあり』だったのだと思う。身内とはインテグラタイプRだ。インテグラタイプRは5代目プレリュードの前年の1995年にNSXタイプRに続くホンダのタイプR第2弾として登場。NSXタイプRが高嶺の花なのに対し、安価にホンダのレーシングDNAを手にできるモデルとして大ヒット。
クルマを購入する場合、他メーカーのライバル同士を比較するケースももちろんあるが、同一メーカー内でクルマを決めるということは少なくない。当時ホンダのスポーツスペシャルティが欲しい、と考えた時にプレリュードよりもインテグラタイプRに魅力を感じた人は多かった。
車格はプレリュードのほうが上で装備面なども充実していたし、快適性も実用性も高かったかもしれないが、ホンダファンにとってはタイプRはやっぱり特別な存在。それがデビュー当時222万8000円という価格で、タイプSよりも約40万円安く手に入ったのだ。
「ベストカー」の企画(1997年1月10日号)で、プレリュードタイプSとインテグラタイプRの比較テストを敢行。その結果はゼロヨン、ジムカーナともインテグラタイプRの勝ち。220psで異次元コーナリングのATTSをもってしても、スペシャルチューンが施されたインテグラタイプRの後塵を拝してしまった。両車は当然キャラクターが違うが、当時のホンダファンが求めたのはタイプSではなくタイプRだったということだろう。実際に当時はプレリュードにタイプRの設定を切望する声はあった。
2001年販売終了でプレリュードは23年の歴史に幕
ホンダは5代目プレリュードに対し意欲的だったが、悲しいかな「笛吹けど踊らず」で2001年6月に販売終了。これによって一時代を築いたホンダのビッグネームのプレリュードは23年の歴史に幕を下ろした。ホンダは明言していないが、インテグラが2001年7月にフルモデルチェンジで新型(4代目)になっているので、プレリュードはインテグラに統合されたことになる。