鶏だけの中華そばから始まった笠岡ラーメン
笠岡ラーメンは、戦前からすでに十数カ所の食堂で、中華そばとして出されていました。もともと、笠岡には最大で300軒ほどの養鶏場があったことや、鶏肉専門の精肉店も多く、安価で大量に手に入れることができたことから、「鶏」を使用した中華そばが誕生したといわれています。
なかでも、戦前に創業した「斉藤」(現在は廃業)は、笠岡ラーメンに大きな影響を与え、独自のラーメン文化が誕生しました。この頃は「中華そば」の名前で親しまれていた笠岡ラーメン。「笠岡の中華そばを食べるために汽車を下車する」と、いわれるくらい評判のおいしさだったそうです。
1958年に創業した「中華そば坂本」は、現存する最古の笠岡ラーメンの店だそうですが、今も客足の途絶えない人気店です。その、「中華そば坂本」で修業した方々も活躍しています。「一久」、さらに「一久」で修業した店主の「いではら」などが、伝統の笠岡ラーメンの味を守っています。また一方では、そのほかの店も笠岡ラーメンの味を、アレンジし、進化させて、笠岡ラーメンを盛り上げています。
鶏専門精肉店の経験を生かしたラーメン
創業者の坂本勇さんは、創業時、鶏専門の精肉店を営んでいました。そのお店の隣で、奥さまが中華そば屋さんを始めることとなり、中華そばを作り始めました。これが現存する最古の笠岡ラーメン店の始まりです。中華そばの味は、鶏専門の精肉店を営んでいた経験を存分に生かし、勇さんが担当。「中華そば坂本」の味を独自に生み出しました。現在は二代目・坂本英喜さんがお店を守られています。