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全国のラーメンの名店が出店する「新横浜ラーメン博物館」(ラー博)は、年間80万人以上もの客が訪れる“ラーメンの聖地”です。横浜市の新横浜駅前にオープン後、2024年3月に30年の節目を迎えましたが、これまでに招致したラーメン店は50店以上、延べ入館者数は3000万人を超えます。岩岡洋志館長が、それら名店の「ラーメンと人が織りなす物語」を紡ぎました。それが、新刊『ラー博30年 新横浜ラーメン博物館 あの伝説のラーメン店53』(講談社ビーシー/講談社)です。収録の中から、 札幌の幻の味となった「名人の味 らーめん爐(いろり)」を紹介します。

『ラー博30年 新横浜ラーメン博物館 あの伝説のラーメン店53』(講談社ビーシー/講談社、1760円)
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札幌屈指の老舗の“まっ黒ラーメン”

新横浜ラーメン博物館がオープンして2年が過ぎた1996年の3月からスタートした企画が、「新横浜着 全国ラーメン紀行」です。そのトップバッターとして出店いただきましたのが、札幌の「名人の味 らーめん爐(いろり)」です。新横浜ラーメン博物館30周年企画「あの銘店をもう一度」では第7弾の店として、2022年11月4日からの3週間、出店いただきました。私は、ラー博がオープンする前から「爐」の存在は知っていました。だから、いつかご出店いただきたいと思っておりました。

札幌といえば、味噌ラーメンですが、こちらのお店は1951年に創業し、独特なスタイルを築きました。“まっ黒なスープ”の秘密は特製の“焦がしラード”にあります。店名にも冠された「名人の味」という言葉のように、熟練の技法でのものすごく複雑な味わいで、その味に惚れました。

なぜこのような“まっ黒ラーメン”が生まれたのか?

【「名人の味 らーめん爐」過去のラー博出店期間】
・ラー博初出店:1996年3月20日~1996年9月30日
・「あの銘店をもう一度」出店:2022年11月4日~2022年11月24日

ラー博に出店した当時の行列風景=1996年

熱いラーメンを求めて往復した北大生に親しまれ

1951年、創業者の大関十一郎さんは、北海道大学の学生寮・恵迪寮(けいてきりょう)の近くでラーメン店を構えました。雪の降りしきる札幌、学生は店内に囲炉裏のあるその店に熱いラーメンを求めて寮から往復し、できた学生たちの足跡道が、いつの頃からか、“爐(いろり)街道”と名付けられたそうです。

「名人の味 爐」の三代目店主だった大関徹史さん。体調がすぐれずに閉店し、2024年7月に逝去された=2022年

そんな北大の学生たちに親しまれた「爐」という名が、現在の屋号「爐」となっているのです。

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「名人の味 らーめん爐」は1962年オープン...
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おとなの週末Web編集部
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