「名人の味 らーめん爐」は1962年オープン
そんなスタートをきった「爐」でしたが、1962年、大関十一郎さんの兄である二代目の大関鉄三さんが、札幌・すすきの(札幌市中央区南4条西5条)にも「爐」をオープンします。また、親戚筋も苗穂( なえぼ)駅前に店を構え、「爐」は3店舗を構えることとなりました。
その後、鉄三さんの戦友から、いい場所があると紹介を受け移転したのが、北4条西5条(現在のアスティ45ビル付近)の店舗でした。
1987年、再開発となり、その年に竣工した札幌センタービルからの“ラブコール”を受け移転。この頃から、から、鉄三さんの長男である徹史さんがお店を手伝うようになり、2013年、札幌市西区の地下鉄・発寒南(はっさむみなみ)駅近くに移転したのでした。
「新横浜着 全国 ラーメン紀行」第1弾
新横浜ラーメン博物館が開業して2年後、オープン時から出店していた喜多方「大安食堂」が、ラー博を卒業することとなりました。このとき、「レギュラー店以外に期間限定店を設けて、より活発なサイクルで多くのお店を紹介できないだろうか」――との思いから始まったのが、「新横浜着 全国ラーメン紀行」プロジェクトです。ご当地ラーメンはもちろん、個性、話題性なども加味して、日本全国の多彩なラーメン文化を柔軟に紹介していく企画でした。その記念すべき第1弾としてご出店いただいたのが「爐」でした。
当時、すでにレギュラー店として札幌「すみれ」が出店していましたが、あえて同じ札幌の「名人の味 らーめん爐」を誘致したのは、同じ札幌のラーメンでも、実は幅広いバリエーションあることを紹介したかったためでした。それほど個性的なラーメンで、ラー博で紹介したい味わいだったのです。振り返ると、昨今の札幌で密かなブームとなっている“札幌ブラック”の、草分け的なお店であったのです。