もとは花街の屋台で、東京の中華そばが起源
飛騨高山のラーメンは、長く「飛騨中華そば(高山ラーメン)」として親しまれてきました。その歴史は今から80年以上も前から。1938年、当時の花街を引いて歩く屋台がありました。屋台を引く人、坂口時宗さんは、昼は高級料亭の金亀館で腕を振るう一流の板前でした。坂口さんは、東京・芝浦にあった料亭の雅叙園で修業をしているとき、中国の人の作る麺料理を知り、見よう見まねで中華麺の打ち方を覚えたようです。坂口さんが、高山で修行したのが、飛騨中華そばの元祖とされる「まさごそば」。今も現地で愛される人気店です。
坂口さんによると、「若い頃は東京で支那そばを食べるのが楽しみだった」とのこと。京文化の影響を色濃く受ける高山のそばや、うどんはもともと関西風。しかし、中華そばは関東風です。もちろん、元祖の坂口さんが東京で修業したからですが、高山が江戸幕府の天領となり、醤油文化が発達したという土壌も影響していると考えられます。
飛騨高山では、「そば」と注文すると「中華そば」が出てきます。いわゆる「そば」を頼む場合は「日本そば」、または「生(き)そば」と言わなければ伝わりません。古い町並に同化した店構えに「中華そば」の暖簾が下がる光景。軒先からはプーンと鰹節の香りがただよっているため、おそば屋さんと勘違いする人も多くいるのです。
飛騨中華そばは「スープとタレを一緒に煮込む」
あらためて、飛騨中華そばの特徴をいくつかご紹介いたします。まずは、そのスープ。ラーメンはスープとタレを別々に作り、丼ぶりにタレを入れてスープを注ぐことが一般的ですが、飛騨中華そばでは、スープとタレを一緒に混ぜて煮込みます。そのため、午前中と夕方では煮込み時間により、味わいが変化するのです。だから、地元の“ラーメン通”は好みの時間帯にお店を訪れます。
そして、食べ方。飛騨高山では、年越しに日本そばでなく、ラーメンを食べる習慣があるのです。シーンと静まった大晦日の夜、外には人通りがありません。午前0時近くになり、除夜の鐘が鳴るや否や、大勢の人が次から次へと外出し始めます。その目的はラーメン。飛騨高山では、厳密にいうと“年越し”ではなく、新しい年を迎えてからラーメンを食べる習慣なのでした。