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車名は青い空の意味するラテン語

車名のセレステ(CELESTE)はラテン語で青い空を意味し、『機能と美を調和させた』という意味で採用された。ちなみに現在は自転車で有名なビアンキの伝統的なイメージカラーである緑がかったライトブルーの色は同じ『CELESTE』という綴りながらチェレステと発音する。

ランサーセレステは爽やかな名前に合わせてブルー、イエローなどの鮮やかな色味のボディカラーをラインナップして若者から人気となっていた。

ボディカラーのブルーがきれいだった。リアコンビは後期モデルで横位置タイプとなった

デザインは伝説の二村氏が担当

ランサーセレステを語るうえで外せないのがそのエクステリアデザイン。当時の日本車はイタリアをはじめとする社外に外注するケースは少なくなかったが、セレステは三菱社内デザインで、担当したのは二村正孝氏だった。二村氏は三菱に入社後、国民車構想のもと1960年に誕生した三菱500を手掛けた社内デザイナーで、ランサーセレステをデザインした後は三菱デザイン部門の初代トップに就任。1980年代までの多くの三菱車のデザインに関与した重要人物だ。

二村氏に課せられた命題は、『ランサー2ドアセダンのフロントからドアまでを使ってスタイリッシュなスペシャルティクーペを作る』という開発費を抑えながらカッコいいものを作る、という当時も今も当たり前の手法。

しかし、ベースとなったランサーが実用性重視でシンプルなデザイン、特にボディサイドは平坦な面構成でスペシャルティ色は皆無だったため困難を極めたという。

三菱のデザイングループはセレステをデザインするにあたり苦労が多かったという

社長とデザインチームの鬩ぎ合い

さらにランサーセディアが開発中の1973年に久保富夫氏が三菱の2代目社長に就任。久保社長は東京帝国大学卒業後三菱重工に入社して飛行機の開発に携わっていた元エンジニアで、社長就任後、「今後三菱車のデザインは自分が決める」と豪語したという。社長と言えどデザインのプロを自認するからデザイナーとしてはたまったものではない。特にスペシャルティカーのランサーセレステの場合はデザイン命ゆえ、久保社長と二村氏率いるデザインチームの鬩ぎ合いは壮絶だったという。

その結果、二村氏がデザインしたものに社長案を取り入れて修正を盛り込み誕生したのが市販モデルのデザインというわけだ。

後期モデルは角型2灯ヘッドライト、4本スリットが入ったルーバーに変更されてリフレッシュ
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ランサーと別物に仕上げられたデザイン
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市原 信幸
市原 信幸

市原 信幸

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