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セレステが海外ラリーに投入されなかった理由

セレステのベースとなったランサー2ドアGSRと言えばラリー。ランサーは海外ラリーで活躍し、1973年のサザンクロスラリーで優勝したのに続き、1974年にはWRCのサファリラリーでも優勝。ランサーセレステGSR登場後もランサーGSRをラリーに使ったのは単純にルームスペースが広かったから。ラリーはいろいろな機材を積まなければいけないため、広さが優先された。しかし国内ラリーなどではランサーGSRのエンジン、駆動系、足回りなど多くのパーツを使えることもありランサーセレステGSRで参戦するプライベーターはいた。

海外ラリーで大活躍した初代ランサーGSR

ランサーセレステの走りの実力

では、スポーティなデザインが与えられたランサーセレステの走りはどうだったのか?

実はこれが見た目とは裏腹に完全なスポーツというわけではなかったようだ。筆者は世代的に実際にステアリングを握ったことはないので、この業界の先輩に話を聞いてみたところ、以下のように教えてくれた。

前後のオーバーフェンダーが精悍で、逆L字型のリアコンビが個性的

「排ガス規制に適合させるためにエンジンもパワーダウンしていたため、爽快感はなかった。トップグレードのGSR同士を比較してもセレステは910kgで825kgのランサーより75kgも重かった。大人ひとり分の重量差は小さくなく、加速性能は明らかにランサーよりも劣っていた。これはライバルに対してもしかり。しかしランサーセレステはハイスピードツアラーとしての実力が高い。それはエアロダイナミクスに優れていたから。ボディの全面投影面積が小さく、クーペボディだったこともあり同じ100ps(51年排ガス規制後のツインキャブ仕様)でも最高速はランサーの160km/hに対し170km/hをマーク。あと高速道路を走っていても風切り音が小さい、室内騒音が小さく静かだったため快適だった」

カリカリのスポーツモデルではなく、カッコいいデザイン、そこそこ元気な走り、ユーティリティ、快適性を備えていたためスペシャルティカーとしては合格点だったという。

ハッチバックの使い勝手のよさとリアシートを倒すと広いラゲッジとなる実用性の高さも備えていた

ドラマで知名度アップ!!

突き抜けた魅力ではなく、デザイン、走り、快適性などすべての点において高いレベルで融合させた魅力を持ったランサーセレステはコンパクトスペシャルティスポーツとして人気となり、日本で7万8000台を販売。FTOが5万台強だったが、販売期間を考えるとほぼほぼ同等の月販をマークしたことになるだろう。

ブランニューモデルながら若者に知名度を上げる効果を果たしたのが『華麗なる刑事』。当時人気だった草刈正雄氏主演のテレビドラマだったが、その相棒としていい味を出していた田中邦衛氏の作品中の愛車としてランサーセレステが使われていた効果は大きかったと思われる。

チンスポイラーの装着で一気にレーシーな雰囲気に変身
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セレステの車名は復活するか?
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この記事のライター

市原 信幸
市原 信幸

市原 信幸

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