路線総延長は14.2マイル(21.72km)
玉川電気鉄道は開業当初、いわゆる路面電車のレール幅(軌間)1372mmを意識せず、現在も多くの鉄道が採用しているレール幅1067mmで開業した。その後、1920(大正9)年にレール幅を1372mmへと改軌した。これは、渋谷で接続していた東京市電(のちの都電)と同じレール幅にすることで、砂利輸送のための貨車を市電に乗り入れさせるためでもあった。このころは、沿線に多くの軍事施設が建設され、新興住宅地も増加するなど旅客誘致にも力を入れており、三軒茶屋~玉川間を複線化して輸送力を向上したのもこの時期だった。
1922(大正11)年には、渋谷~渋谷橋(渋谷区広尾)間を延長したが、その名残として今は取り壊されてしまったが、東急百貨店の西館と東館を結んでいた通路が、その線路跡だったことはあまり知られていない。1924(大正13)年には、以前に取り上げた記事で紹介した玉電「砧線」も開業し、渋谷橋より先の天現寺橋(港区南麻布)まで天現寺線を延伸し、玉川~天現寺橋まで直通運転が行われるようになった。
1925(大正14)年になると、世田谷の奥地とよばれた地域の開発を目的として、三軒茶屋~世田谷(世田谷区世田谷)、次いで世田谷~下高井戸(世田谷区松原)と今も走り続ける”世田谷線”を開業させた。さらに、多摩川を渡る二子橋の建設費用を30%負担して、道路橋の中央に単線の線路を敷設する権利を取得し、1927(昭和2)年に玉川~溝ノ口(川崎市高津区)まで溝ノ口線を開業させた。このころになると、渋谷橋~中目黒(目黒区上目黒)まで中目黒線を延伸するなど、その総延長距離は14.2マイル(21.72km)にも達した。





