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バスターミナルになった玉電の渋谷駅跡

乗り物に興味を抱きはじめた幼少期は、東急百貨店東横店といえば夢のような場所だった。すでに玉電の姿こそなかったものの、2階には“国電”山手線とバスターミナル、3階は営団地下鉄銀座線、そして6階には“おもちゃ売り場”、さらに8階へ行けば「お子様ランチ」にありつける“東横お好み食堂”があった。

2階にあったバスターミナルは、玉電の渋谷駅跡を活用して、1970(昭和45)年5月15日に開業したものだった。今では、その面影はなにもなくなってしまったが、当時は東名急行バス(東名高速道路を通り渋谷駅~名古屋駅間を運行)や路線バス(品川区役所線)、東急百貨店本店行き無料連絡バスが発着していた。

玉電の駅だったそのスペースは細長く、バスが転回して折り返すことができなかった。そのため、バスの折り返し用として「ターンテーブル」が設置されていた。3分おきにバスの発着が繰り返され、それを飽きずに何時間も見ているものだから、連れ立っていた母親はあきれ返っていたことだろう。

当時は、その場所が玉電の駅跡だったことなど知る由もなく、後年になり改めて訪れてみると、かすかに玉電の面影を見ることができた。それは、架線支持物と呼ばれる玉電に電気を送電するための銅線(架線)を吊るすための鉄柱などだった。現在は渋谷マークシティへと建て替わっており、これらを見ることはできない。近年、東急百貨店東横店を解体した時には、東急会館(玉電ビル)にあった玉電渋谷駅の線路(レール)が出てきたという。

東急百貨店東横店に面していたJR山手線の改札口が「玉川口」だったことは、玉電の名をいまに伝える唯一の名残りだったが、もうその改札口もなくなってしまった。生まれ変わりの「新玉川線」の名も、2000(平成12)年に田園都市線へと統合され消滅しており、玉電の名は人々の記憶から消え去ろうとしている。

在りし日の玉電渋谷駅のようす。左上の高架線が地下鉄銀座線の車庫線で、右側は京王井の頭線へと続く建物があった=写真/宮田道一コレクション、1969年3月
廃線後、バスターミナルへと転身した旧渋谷駅跡。銀座線の高架橋には、わずかに玉電が使用した電気工作物(鋼材加工品)が遺っていた=写真/宮田道一コレクション、1983年12月
渋谷バスターミナル(玉電渋谷駅)があった周囲は一変しており、当時の痕跡などあるわけもない=2026年2月13日、渋谷区道玄坂
渋谷バスターミナルにあったバス折り返し用のターンテーブル=1986年6月、渋谷区道玄坂
東急会館(旧・玉電ビル)に遺されていた玉電遺構「架線引き留め金具」=1986年6月、渋谷区道玄坂
渋谷バスターミナルに遺されていた玉電遺構のひとつ「架線柱」=1986年6月、渋谷区道玄坂
新玉川線が建設中当時の東京急行沿線案内(昭和48年11月版/東京急行電鉄発行)=資料所蔵/筆者
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文・写真/工藤直通

くどう・なおみち。日本地方新聞協会特派写真記者。1970年、東京都生まれ。高校在学中から出版業に携わり、以降、乗り物に関連した取材を重ねる。交通史、鉄道技術、歴史的建造物に造詣が深い。元・日本鉄道電気技術協会技術主幹、芝浦工業大学公開講座外部講師、日本写真家協会正会員、NPS会員、鉄道友の会会員。

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