逗子線の複線復旧と車両メーカー専用線の整備
終戦後、東急逗子線の沿線は非戦災区域であったため、人口が極度に増加し、現状の単線運転では輸送困難となっていた。これに加えて逗子方面への夏期多客に備えるため、逗子線を複線に復旧し、輸送力の増強を図る必要があった。しかし、このことをめぐっては、当時の東急(大東急)と海軍との間で、「複線に戻す場合には無償で原形に復し返還すること」として契約を交わしていたものの、終戦時に当局の指示により一切の関係書類が焼き捨てられたため、なし崩し的に東急側で複線に戻す工事を行っている。完成は、大東急再編成後となる1948(昭和23)年8月のことだった。
いっぽう、旧第一海軍技術支廠専用軌道線(軍用引き込み線)の”一時使用許可”(昭和23年1月申請)を得て使用を開始していた当時の東急直営メーカーの東京急行電鉄横浜製作所(旧・東横興業横浜製作所)は、それ以前となる1946(昭和21)年9月以降から軍用引き込み線の緊急使用について、お墨付きをもらっていた。このため、逗子線を複線復旧させる際には、逗子線の線路(レール幅1435mm)の間に軍用引き込み線(レール幅1067mm)を平行して上り線に敷設する「三線式(三線軌条)」による線路構造とすることは、暗黙の了解となっていた。
逗子線の再複線化を前にした1948(昭和23)年7月には、東急横浜製作所と京浜急行電鉄線との間で「東急横浜製作所に発着する車両の京浜急行電鉄線金沢八景駅神武寺駅間乗り入れに関する協定書」が締結された。これには、①京急の添乗指揮により東急の乗務員が東急の動力車を運転する、②運転経費(添乗員経費)は1日あたり300円、③23時20分~4時30分までの間に運転する、④時速は25km以下で、金沢八景駅~神武寺駅間の運転時分は12分と決められていた。京浜急行電鉄のダイヤ改正の記録によれば、「ダイヤ№13、昭和24年11月20日改正、東急製作所出入列車運転開始(貨車)、金沢八景~神武寺上り3線方式」と記されていた。



