引き込み線から専用鉄道へ
金沢八景駅場内北方信号機19L(横浜起点18km484m300mm)から259m300mmの地点において同駅構内側線に接続して、同電鉄逗子線を経由し国鉄逗子駅に接続する目的をもって813m(3線式350m、狭軌463m)の専用鉄道を敷設したい。これは、東急横浜製作所から社名変更をしていた東急車輛製造が、1956年(昭和31)年11月に「専用鉄道」の免許申請を行った際の理由である。動力は電気、軌間1435mmおよび1067mm、建設費1520万4835円となっていた。
その目的には、当社工場に搬出入する国鉄その他会社の新造改造及び修理車両並びにこれに使用する資材の運搬とあった。この専用鉄道化によって、京急と東急との間で“直通運転”協定が締結され、その条文は第1条~7条で構成されていた。運転・信号・列車保安・車両整備は京急の定めに従う、必要とする諸経費は東急が負担、本協定は専用鉄道敷設免許を取得した日から5年ごとの自動更新、などと記されていた。
それまでに結ばれた協定では、営業時間外(終電から始発までの間)での輸送としていたものが、この協定には時間に関する事柄は記されていなかった。おそらく、日中時間帯での輸送を見込んでの専用鉄道化だったのではないだろうか。実際に日中輸送は、この申請以後昭和40年代まで行われていた。しかし、日中輸送は逗子線の上り線を使用すること(一部の列車を運休させて上り線を逆走して運行)や、ダイヤの過密化などにより、以後は夜間帯(終電~始発までの間)での運行に戻された。




