「三線軌条」をたどる
京急線の線路(レール)幅1435mmに対して、JR在来線など多くの鉄道に採用される線路幅1067mmを併設した3本のレールが並ぶ特殊な線路構造「三線軌条」を追い求め、車両メーカーからJR逗子駅までをたどることにした。
スタートは、京急電鉄金沢八景駅からほど近い車両メーカー、総合車両製作所横浜事業所(旧・東急車輛製造)へと向かった。京急本線(金沢八景駅~金沢文庫駅間)の車窓からも確認できる工場正門には、(公道からの)「構内撮影御遠慮ください」の注意看板が目を引く。さすがに工場内へと伸びる構内線路の撮影は遠慮した。車両メーカーの専用鉄道区間は、京急線から伸びてくる側線との接続点(デッドセクション)から工場構内に敷設される、わずか813mのみだ。
正門を背にして京急金沢八景駅の側線へと続く線路は、工場構内からすでに三線軌条となっていた。これは車両メーカーを出場した1435mmの線路幅である京急電鉄や京成電鉄などの新造車両(電車)が、そのまま京急本線(1435mm)に出線できるようにしているためだ。側線が道路を横断して京急線へと合流する直前には、車両メーカー側の架線(電車へ電気を送る送電線)と京急線側の架線をを突き合わせる「デッドセクション」と呼ばれる電気設備があった。ここが、いうなれば両社の分岐点というわけだ。
側線が道路を横断して京急金沢八景駅の側線へと入ると、そのまま京急逗子線の線路へと三線軌条は合流する。金沢八景駅の4番線(上り横浜方面ホーム)をそのまま通って、京急逗子線の上り線を逆走する形で三線軌条は進む。金沢八景駅の一つとなりにある六浦駅でも上りホームを通過するが、ここではプラットホームと回送される車両(狭い1067mm側の線路中心がホーム側に偏る)が接触することを避けるため、このホームの前後には特殊なポイントがあり、回送車両(1067mm)が通るレールが右寄りから左寄りへと入れ替わるように工夫されていた。
三線軌条の終点となる神武寺駅(逗子市池子)の手前では、狭い幅の線路(1067mm)だけが分岐して、神武寺駅に隣接する在日米軍施設内(旧・大日本帝国海軍の倉庫跡地)へと引き込まれていく。ここで車両メーカー専用鉄道と京急逗子線との乗り入れ区間は終わる。神武寺駅から先は、京急逗子線と米軍施設内の構内線路(レール幅1067mm)は平行しているが、その間には鉄条網(フェンス)があり、容易に立ち入ることはできない。
三線軌条区間は、神武寺駅の手前で終了したが、その先となるJR逗子駅まで歩を進めることにした。米軍施設内を通る引き込み線は、狭い線路幅(1067mm)のままであり、この施設内を抜けたところに踏切があり、ここからしばらくは京急逗子線と並走する。この踏切は神武寺第1号踏切と名付けられているが、京急線と逗子駅へと至る引き込み線とは別々になっていた。京急線側には警報機と遮断機があるものの、引き込み線側にはそれらの設置がない「第4種踏切」であった。ちなみに、引き込み線側の踏切は「JR貨物神武寺第1踏切」という名称で管理されていた。
米軍施設を出たところからJR逗子駅へと続く線路は、JR逗子駅の側線という扱いのようだが、米軍側との敷地境界を示すものは何もなかった。途中には隧道(トンネル)が1か所あり、在日米軍が設置した注意看板が掲げられていた。どうやら隧道と線路用地の一部は在日米軍の管理下にあるようで、線路(レール)そのものはJR貨物が管理しているように見受けられた。隧道を抜けた引き込み線の線路は、右にカーブしながら横須賀線の線路沿いに出て、そのままJR逗子駅へと向かっていた。JR横須賀線の電車が留置されているあたりには、以前は人のみが通行できる“第4種踏切”があったのだが、いまは廃止され存在しない。
知る人ぞ知るJR逗子駅から京急逗子線の神武寺駅へと至る引き込み線。その行き先は、旧・日本海軍の軍事施設だった鉄道車両メーカーへとつながる。先の大戦では軍需用品を運び、戦後は鉄道車両の搬出入を担っている。そこを走る回送列車の運行日はヒミツとされ、いわば“幻の鉄道”と言っても過言ではないだろう。線路は続くよどこまでも。
文・写真/工藤直通
くどう・なおみち。日本地方新聞協会特派写真記者。1970年、東京都生まれ。高校在学中から出版業に携わり、以降、乗り物に関連した取材を重ねる。交通史、鉄道技術、歴史的建造物に造詣が深い。元・日本鉄道電気技術協会技術主幹、芝浦工業大学公開講座外部講師、日本写真家協会正会員、NPS会員、鉄道友の会会員。


























