吉屋信子「生霊」1950
大正期に執筆した『花物語』で絶大な人気を博して少女小説の第一人者となり、『良人の貞操』などの家庭小説、『徳川の夫人たち』などの歴史小説でも才能を発揮した吉屋信子。そんな彼女の華々しいキャリアには、怖い話や奇妙な話を集中的に執筆していた一時期が含まれる。その背後には、やはり多くの人びとが運命を狂わされた戦争の存在があった。
たとえば終戦から5年後に書かれた「生霊」はこんな話である。
シベリアから復員してきた菊治は肺を病み、療養のために縁故を頼って高原の農家を訪ねる。ところが滞在を断られ、とぼとぼ別荘地を歩いて帰ることになった。
やがて一軒の空き別荘を見つけた彼は、雨を避けるために侵入。しばらく留まっているうちに、居心地の良さを感じるようになる。ところが別荘で見つけた空気銃を片手に歩き回っていると、一人の老人に「坊ちゃん」と声をかけられた。どうやら別の誰かと勘違いしているらしい。
銃で撃った鳥の肉をつつきながら、老人の昔話につき合う菊治。しかし本物の「坊ちゃん」はソ連の捕虜収容所ですでに死亡しているのだった。
奇妙なすれ違いを描いた物語なのだが、戦後の混乱期、幽霊の出現を受け入れたくなる心理状態は、多くの日本人に共有されていたはずである。
なおこの短編には「生死」という後日談もある。この中の「もし霊魂が不滅でなかったら、何というむごい人生であろう」という主人公の述懐に、吉屋が怖い話を書き続けた理由があるような気がする。



