なつかしき玉電の風景
玉電(たまでん)は、多摩川で採取した“砂利(じゃり)”を都心部へ運搬する目的で、1907(明治40)年開業した渋谷と玉川(当時→現・二子玉川/世田谷区)を結んでいた路面電車=玉川電気鉄道にはじまる。いつしか「じゃり電」とも呼ばれ、世田谷区民の足として親しまれた。
沿線人口の増加によって、玉電の輸送力に限界が見え隠れした1956(昭和31)年になると、東急電鉄はあらたに玉電玉川線に代わる地下鉄=新玉川線(現・田園都市線の地下鉄区間)の建設を目指した。渋谷から先は、銀座線(現・東京メトロ)へと乗り入れることが検討された。
玉電(玉川線)はその後、東京オリンピック(1964/昭和39年)が行われるころには、自動車の普及が急速に進んだこともあり、道路渋滞の元凶として「ジャマ電」と揶揄されるようになり、廃止がより現実のものとなっていった。1968(昭和43)年には新玉川線の建設が決定し、翌1969(昭和44)年5月11日に玉川線は、支線の砧線とともに廃止された。
いっぽう、道路上を走る線路ではなく、専用の軌道上(鉄道敷地)を走っていた三軒茶屋~下高井戸間は廃止を免れ、いまも世田谷区民の足「世田谷線」として走り続けている。
文・写真/工藤直通
くどう・なおみち。日本地方新聞協会特派写真記者。1970年、東京都生まれ。高校在学中から出版業に携わり、以降、乗り物に関連した取材を重ねる。交通史、鉄道技術、歴史的建造物に造詣が深い。元・日本鉄道電気技術協会技術主幹、芝浦工業大学公開講座外部講師、日本写真家協会正会員、NPS会員、鉄道友の会会員。















