省線のガソリンカーを使用した実証実験
ガソリンカーの導入に先立つこと2年前となる1933(昭和8)年8月のこと、東京横浜電鉄では、早くもガソリンカーの導入へと動き出していた。当時の鉄道省(→のちの国鉄、現JR)ではすでに、横浜線(原町田駅〔→現・町田駅〕~八王子駅間)でガソリンカーの運転を開始しており、この車両を借り受けて東横線で走らせ、実証実験を行うというものだった。
当時の東京横浜電鉄の専務取締役だった五島慶太氏は、鉄道省東京鉄道局長に対し、鉄道省(省線)が所有するガソリンカーを借りて試験運行を行いたいと申し入れを行った。即時快諾となり、キハ36900形(→のちのキハ41000形)1両を、運転士とともに借り入れた。試験運行は、桜木町駅~渋谷駅間で行われ、2往復のうち1往復は各駅停車、もう一往復は急行運転として実施した。この試験結果をもとに、東横線用のガソリンカーの設計が行われることになるが、設計に着手したのは1935(昭和10)年になってからのことだった。
その後、東横線にガソリンカーがお目見えしたのは、1936(昭和11)年5月のことで、8両が新製配置された。整備士は、ガソリンカーの整備経験がある千葉県を走る小湊鉄道から2名の技師を迎え入れた。当時を回顧する話として、多摩川園前駅~田園調布駅間の勾配(坂)をのぼるには「エンジンが馬力不足」で、その運転には苦労したことや、開発途上といわれたガソリンエンジンはトラブルが多く、整備にも苦労したそうだ。結果、各駅停車で使用するには不向き(多摩川園前駅に停車すると坂をのぼれない)であることから、急行列車に限定使用されたという。



