行き場を失ったガソリンカー
ガソリン使用規制以来、いわば“お荷物”となってしまったガソリンカーは、戦時下における輸送力増強を図りたいとする地方私鉄へ、その嫁ぎ先を探した。早くもガソリン規制がはじまった年の11月には、神奈川県内を走る神中鉄道(→のちの相模鉄道)へと売却され、その後も1940(昭和15)年までにすべてのガソリンカー(8両)が、神中鉄道と五日市鉄道(→のちのJR五日市線)へと売却された。
その車両価格は、1両38000円と記録にはあり、新製時の価格(30000円)よりも高値で売却するあたりは、のちに東急グループ総帥となる五島慶太氏らしい経営手腕だった。
文・写真/工藤直通
くどう・なおみち。日本地方新聞協会特派写真記者。1970年、東京都生まれ。高校在学中から出版業に携わり、以降、乗り物に関連した取材を重ねる。交通史、鉄道技術、歴史的建造物に造詣が深い。元・日本鉄道電気技術協会技術主幹、芝浦工業大学公開講座外部講師、日本写真家協会正会員、NPS会員、鉄道友の会会員。








