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「ガソリン1滴は血の1滴」

戦後81年を迎えた今となっては、「戦時標語」なるものを知る人も少なくなったことだろう。1938(昭和13)年3月に「揮発油及重油販売取締規則」が公布・施行されると、鉄道をはじめとする運輸業界にもガソリン・重油の“使用規制”が行われるようになった。そのころに叫ばれていたのが、「ガソリン1滴は血の1滴」という戦時標語だった。

これまでも、戦時下におけるガソリンカーの使用を取りやめた理由は「ガソリン価格の高騰によるものだろう」といわれてきたが、実態としては政府主導による「使用規制」によるものだった。東京横浜電鉄は、「ガソリン規制の趣旨に従い、ガソリンカーの運転を最小限度にするため運用計画を変更する」ことを決めた。具体的には、①現在8両あるガソリンカーの使用を毎日半数にする、②使用時間は朝の通勤・通学時間帯のみとする、③使用日は平日(月曜~土曜)とし日曜日は使用しない、④構内入換などによるガソリン使用を極力節約する、というものだった。

この規制と同時に、ガソリンカーと電車の併用も1939(昭和14)年2月までと決められた。ガソリンカーは、それまで行われていた渋谷駅~桜木町駅間の急行運転を取りやめ、車庫のある元住吉駅までの運転を除けば、朝の通勤・通学時間帯のみに限られ、それも渋谷駅~祐天寺駅間の平坦な土地を走らせてガソリン消費を節約するという使われ方だった。当時の資料によれば、ガソリンカー(キハ1形)の燃費は1kmあたり0.2ガロン(約0.9リットル)とあり、計算上は「リッター1km弱」といったところだろうか。

東京横浜電鉄が作成した「石油消費節約状況調」=資料/国立公文書館蔵
ガソリン使用規制下におけるガソリンカー(キハ1形)の使用実績を示した車両運用表=資料/国立公文書館蔵
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行き場を失ったガソリンカー
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工藤直通
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