本連載は昭和40年代に生まれたオジサンによる日本車回顧録で、対象とするのは20世紀の日本車としてきたが、3回目にして早くも特別編をお届けしたい。2023年4月に海外向けの乗用車の衝突試験における不正が発覚したのを機に、認証試験における不正まで発覚し、販売中止、工場の稼働停止、認証取り消しなど自動車メーカーとしての存続すら危ぶまれたダイハツ。自動車メーカーがクルマを作れない、売れない損失はかなりのものだが、ダイハツにパーツを卸している関連会社など末端まで含めるとその損失額は言葉を失うレベル。そのダイハツの不正について詳しく触れたり、糾弾するつもりはない。社長を含む経営陣の刷新、さまざまな制約、ダイハツ独自のクルマ作りが不可能なことによってただただ、ダイハツの名車、コペンが今後どうなるのか? それが気になって仕方ないのだ。
ダイハツは日本で最も長い歴史を誇る自動車メーカー
今回の本題はコペンなのだが、その前にダイハツついて触れておきたい。
1907年(明治40年)に内燃機関の製作と販売を目的として「発動機製造株式会社」が設立されたのがすべての始まりで、日本初となる国産エンジンを世に送り出した。社名は発動機製造だったが、「大阪の発動機」ということから「大発(だいはつ)」の略称がニックネームとなり、1951(昭和26年)年に「ダイハツ工業」と正式に社名を変更した。ニックネームが正式社名となるという、自動車メーカーとして稀有な存在でユーモアセンスのある大阪気質がうかがえる。
ダイハツはオート三輪で自動車製造に参入し、東洋工業(現マツダ)とオート三輪の覇権争いを展開した後に四輪車も手掛けるようになった。
トヨタとの関係は、1967年の業務提携により良好な関係が構築され、1998年にトヨタの連結子会社となった。2007年には日本の自動車メーカーとして初となる創業100周年を迎えた(←歴史が最も古いということ)が、2016年にトヨタの完全子会社となってしまった。
この完全子会社化を嘆くダイハツのオールドファンは多かったが、ダイハツの社名は存続しているので、ダイハツが日本最古の自動車メーカーであることに変わりない。