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日本一のりんごの産地・青森県弘前市は、りんごのお酒「シードル」の我が国における故郷でもある。その歴史的な地で、70年前からのシードル製造の源流を受け継ぎ、次代につなげているのがニッカウヰスキー弘前工場だ。パッケージやネーミングなどがリニューアルされた「ニッカ弘前 生シードル」はこの場所で生み出される。今回、一般には公開されていない工場内を見学することができた。見えてきたのは、「りんご」をめぐる興味深いつながり。工場の方々の声とともに、日本のシードルの歴史と現在を俯瞰する。

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りんごのスパークリングワイン「シードル」

ニッカウヰスキー(本社・東京)には、各地に製造施設(国内8カ所、英国1カ所)がある。最も有名なのは、北海道余市町だろう。「ニッカウヰスキー北海道工場余市蒸溜所」は1934(昭和9)年に建設され、ウイスキーづくりが行われている。仙台市の「ニッカウヰスキー仙台工場宮城峡蒸溜所」(1969年~)もウイスキーの施設だ。

ただ、弘前工場で製造されているのは、主にりんご関連商品。他に日本初のチューハイブランド「ハイリキ」やアサヒシロップがある。1938年に誕生し、現時点では“ニッカ最古”のロングセラー「アップルワイン」もここでつくられている。中でも、この地に縁が深いのが、りんごのお酒「シードル」だ。

ニッカウヰスキー弘前工場

シードルは、りんご果汁を発酵してつくられる。一般的には、りんごのスパークリングワインのこと。ラテン語の「シセラ(Cicera)」が語源で、「果実を醗酵させてできた酒」を意味する。ぶどうのワインと同様に紀元前からあるとされるが、11世紀ごろからフランスのノルマンディー地方でシードルづくりが盛んになり、フランスやイギリスなどで愛されてきた。

70年前に「朝日シードル」設立、シードルづくりがスタート

弘前工場(敷地面積1万7221平方メートル、建物6108平方メートル)は、桜の名所としても有名な弘前公園の外濠周辺から歩いて10分ほど。弘前市内を流れる岩木川沿いにある。弘前工場では、瀧瀬生(たきせ・いきる)工場長がまず、弘前とシードルの関わりについて説明してくれた。

ニッカウヰスキー弘前工場の瀧瀬生工場長

日本のシードル製品化の歴史は、ちょうど70年前に遡る。1954(昭和29)年、弘前市吉野町に、朝日麦酒(現・アサヒグループホールディングス)と地元の日本酒造(現・吉井酒造)の提携によって「朝日シードル株式会社」が設立されたのが始まりだ。今ではニッカもアサヒグループの一員。そのアサヒビールが関わっていた事実が何とも興味深い。

前年には、シードルなどりんごの加工品について日本酒造の吉井勇社長がフランスなど欧州を約2カ月にわたって視察している。

弘前市のりんごの収穫量は18万2600トン(推計)で、全国(73万7100トン)の4分の1近くにもなる。明治からの伝統的な一大産地だ。当時から活発だったりんご生産に着目した吉井社長は1950年ごろに、シードルに詳しい東京大学農学部教授の坂口謹一郎(1897~1994年)に相談していた。坂口博士は、のちに東大応用微生物研究所の初代所長を務めた発酵・醸造に関する権威。日本酒の酒質向上に多大な貢献をした人物だ。

1956年に「アサヒシードル」発売。

1956(昭和31)年には、満を持して、「アサヒシードル」が発売されている。弘前で、日本の本格的なシードルづくりは産声を上げたわけだ。

ただ、業績はふるわなかった。当時の嗜好に合わなかったのだろう。翌年には、ニッカが「アサヒシードル」の販売を託される。ニッカは、製品出荷まで年月を要するウイスキーの貯蔵熟成の間に、収入を得るため、余市のりんごを使ったジュースなどを製造していた。ちなみに、ニッカの呼称は、「大日本果汁株式会社」の「日」と「果」から。「果」はりんごを指している。“りんごつながり”で相談を受け、手を差し伸べたのがニッカ創業者の竹鶴政孝(1894~1979年)だった。日本のウイスキーの父、“マッサン”のことだ。

ニッカウヰスキーの歴史

「朝日シードル株式会社を作った時に、お手伝いをしたのが現在のアサヒビール。我々の源流は、アサヒビールさんが始めたともいえます。『皆さんが始めて、我々が引き継いだんですよ』とアサヒビールの方には必ず話しているんです。我々は、連綿とシードルに関わってきているのです」

瀧瀬工場長の説明を聞き、弘前のりんごがつなぐ縁を思った。シードル、アサヒビール、ニッカウヰスキー。時代が求めた合理的な理由を背景に、この三つが歴史の中で巡り合う。実におもしろい。

1960年には、ニッカはシードル事業を引き継ぎ、ニッカウヰスキー弘前工場として操業を始めた。1965年には、弘前市栄町に新工場を建設。今に至っている。従業員43人の8割弱が現地採用。地域に密着した工場といえるだろう。

吉野町の旧工場は、現在「弘前れんが倉庫美術館」として市内の名所になっている。

弘前れんが倉庫美術館
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約40年前にできていた“生シードル”の原型...
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おとなの週末Web編集部 堀
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