蕎麦好きならずとも、“更科蕎麦”の名はきっと聞いたことがあるだろう。真っ白なお蕎麦と言えばもっとわかりやすいか。江戸三大蕎麦の一角、その総本家が麻布十番にある『総本家更科堀井』だ。
なぜ真っ白?というのは追って説明するとして、まずはその歴史を少々辿ってみよう。
■「白い蕎麦」の誕生秘話
創業は1789(寛政元)年というから230年以上前のことだ。もとは信州特産の信濃布を商う布屋。それが領主の保科家の殿様から「蕎麦打ちが上手いから蕎麦屋になれ」と勧められて転じたという。
“更科”は信州そばの集積地更級の「級」に保科の一字「科」をいただいたもので、看板は「信州更科蕎麦処 布屋太兵衛」。場所は保科家江戸屋敷にほど近い麻布永坂。そもそも殿様の肝煎りってこともあり、当初から大名屋敷や大きな寺などに出入り。いわば富裕層がお客さんだったというのがポイントだ。
お届けするのに黒い蕎麦だとどうしても延びるし、くっついてしまうので具合が悪い。これを何とかできないかと挽き方を工夫して、蕎麦の実の芯の部分だけ使うことにした。そうして誕生したのが“白い蕎麦”っていうわけだ。これだとぱらっと離れるし、すぐに延びない。しかものど越しもいいってんで評判に。