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戦後80年の節目にあたる2025(令和7)年、天皇陛下と雅子さまは慰霊と継承の旅を続けておられる。慰霊の旅は、第二次世界大戦後に昭和天皇から、上皇陛下と美智子さま、天皇陛下と雅子さまへ受け継がれている。天皇陛下と雅子さまは、とりわけ戦争末期の激戦地となった場所を訪れている。今回は、そんな激戦地へ向かう特攻隊員たちが、最後に食べた料理の物語である。

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終戦の年、昭和天皇は新年を防空壕で迎えられた

1939(昭和14)年、第二次世界大戦が勃発。1941(昭和16)年12月8日には、真珠湾を攻撃し太平洋戦争へ突入した。初戦のころの勝利も長くは続かず、間もなく日本は日に日に敗戦色が強くなっていった。

1945(昭和20)年1月1日、いつもなら華やかな新年祝賀の儀が行われる日である。しかし、この年は取りやめとなり、昭和天皇と良子さまは御文庫で新年を迎えられた。御文庫は空襲の激しくなった1944年冬に、昭和天皇と良子さまの防空壕と住居を兼ねて作られたものであり、目立たないように「御文庫」と呼ばれていた。御文庫の南側は、一面が枯れたすすきでおおわれていた。

この日、昭和天皇は軍装で四方拝(しほうはい)をされたあと、御文庫で晴れのお膳を召し上がられた。

宮中のお正月料理である御祝先付には、真っ白な薄い丸餅の上に菱餅を重ね、ゴボウの砂糖煮と白味噌を乗せて、二つ折りにした菱葩(ひしはなびら)を中心とした本膳に、鰤などの切り身のつけ焼き、雉子酒が出される。

白い菱葩は、今では一般の新年のお菓子「はなびら餅」となって親しまれている。しかし、戦争が激化していた1945年1月に御文庫で出された菱葩の色は、黒っぽいものであった。もち米の質が悪くて、純白にならなかったのだ。

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特攻隊員の最後の食事「赤飯と清酒」
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高木 香織
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