今でこそ世界で確固たる地位を築いている日本車だが、暗黒のオイルショックで牙を抜かれた1970年代、それを克服し高性能化が顕著になりイケイケ状態だった1980年代、バブル崩壊により1989年を頂点に凋落の兆しを見せた1990年代など波乱万丈の変遷をたどった。高性能や豪華さで魅了したクルマ、デザインで賛否分かれたクルマ、時代を先取りして成功したクルマ、逆にそれが仇となったクルマなどなどいろいろ。本連載は昭和40年代に生まれたオジサンによる日本車回顧録。連載第75回目に取り上げるのは1975年にデビューした三菱ランサーセレステだ。
ギャランGTOは三菱初のロードカー
1970年4月に三菱重工の100%出資により三菱自動車工業(以下三菱)が設立された。それまでは三菱重工の自動車部門が自動車を製造していたが、今後の自動車産業の拡大に向けて自動車の専業体制確立のためだ。
その三菱は社名変更後初のモデルとして1970年10月にスポーツクーペのギャランGTOを発売開始。前年に開催された東京モーターショー1969でプロトタイプのギャランクーペGTX-1を公開していたが、1年後に晴れて市販された。
逆スラントしたノーズに埋め込まれた丸型4灯ヘッドランプによるスパルタンな顔つき、スポーティなダックテールを採用するなど一躍人気モデルとなった。ギャランのサブネームが付くが、ドアパネルを除き専用設計となっていた。
スポーツイメージが加味された三菱
ギャランGTOが一気に三菱の顔となったが、三菱は同時にギャランGTOよりも安くより若者をターゲットとしたモデルの開発も進めていて、GTOのデビューから1年後の1971年に弟分のギャランクーペFTOをデビューさせた。ギャランがほぼ専用設計だったのに対し、ギャランシリーズ(GTO含め)と多くのパーツを共用することで開発コストを下げることに成功。
ジープのライセンス生産、小さいながらも実用性、信頼性とも高い三菱500、600で乗用車市場に参入した三菱重工の当時のイメージは、1967年のコルト1000Fでの国際ラリーのサザンクロスラリーでの優勝などもあり『質実剛健』というものだったが、スポーティなGTO、FTOの登場によりスポーツイメージが加味された。同時にフルラインメーカーに向けて動き出したのもこの頃だ。
セレステはFTOの後継モデル
今回紹介するランサーセレステは、ギャランクーペFTOの後継モデルとして1975年にデビュー。FTOがギャランベースだったのに対し、ランサーセレステはその名のとおり、初代ランサーがベースとなっている。FTOは全長3765×全幅1665×全高1320mmというショートボディにワイドトレッドというそれまでの日本車にないプロポーションだった。
それに対しランサーセレステは、全長4115×全幅1610×全高1340mmで全長が350mm延長されたと同時に全幅が55mm小さくなり、幾分かは普通になっていたが、ベースとなったランサーが全長3965×全幅1525×全高1360mmだったので大型化されている。
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