中世には貴族が流された絶望の「流刑の地」として、江戸時代には欲望が渦巻く世界最大級の金山としてその名を歴史に轟かせた佐渡島。独特の文化や自然が残る日本海最大の離島を、文豪・太宰治は、小説で「死ぬほど淋しい」と綴ったけれど実際どうなのか? 長年の謎に答えを出すべく北から南まで6日間かけて一周しました。
第1回目の佐渡島紀行では、新潟港と佐渡を結ぶ「おけさ丸」について綴りましたが、第2回目は、なぜか見知らぬ人の法事に参加することになった、大川集落での驚きの出来事をお届けします。
なんだか不思議で少し不気味
巨大なタコを前に銛(もり)を手にした男、無数の手で持ち上げられる人、バチを手にした怒髪天の鬼……。いったい何を表しているのかわからないインパクトのある版画が、人気のない路地を歩くと次々と現れる。なんだか不思議で少し不気味だけど目が離せない。
今から30分ほど前、私はカーフェリーで佐渡島の両津港に上陸したのだが、ホテルの夕食まであと3時間あった。そこで近くに何かないかとグーグルマップで検索すると10キロほど東の海岸沿いに「大川屋外版画美術館」を見つけたのだ。
持ってきたガイドブックには載っていないから、きっと小さな個人美術館だろう。そう考えて日が傾き始めた海岸線沿いをドライブしながら大川集落らしき場所で車を降りると、海沿いの防波堤で3人の70代くらいのお母さんたちが談笑していた。
美術館はこの集落全体っちゃ!
「こんにちは。ここはオオカワ集落ですか?」
「そいがー。大川って書いてオオガって呼ぶっちゃ。版画を見に来たんかね?」
「はい。美術館はどちらですか?」
すると、お母さんたちは笑い出した。
「美術館はこの集落全体っちゃ~。順路があってね、ここの路地から入んのよ」
と、ひとりのお母さんが指さした木造建ての壁には、モノクロの版画が掲げてあった。版画はどこの家の壁にまとまって展示されているのではなく、集落全体が美術館らしい。
近づいて見上げると、女の人がワカメを干している姿が彫られており、とても素朴で力強い作品であったが、作家さんの名前はなかった。
「これ、ワシが40年前に彫ったんら!」
「えっ、お母さんが!?」
私が驚くと、お母さんは「ふふふ」とうれしそうな顔をして言った。
「そうそう、ワシだけじゃのうて……昔、この集落の人たちで版画やっとってね。みんなずーっと若い頃なあ~、ふふふ」
作家さんの作品を飾っているわけではなく、集落の人たちの作品なのだという。なぜ村ぐるみで版画を始めたのか、いろいろと聞きたかったが、あんまり井戸端会議のお邪魔をするのも悪いので、お礼を言って集落に足を踏み入れた。



