ハゲの悲劇性、不条理性とは?
頭がハゲた。
ことここに至っては格好良くハゲるしか方法はあるまい。ハゲはデブとは違う。ともに中年男性の醜態とされてはいるものの、ハゲは決して自己管理を怠った結果ではない。むしろ誇り高き一族の徴(しる)し、もしくは髪の毛の抜ける思いで日々精進を怠らなかった、その結果である。
ハゲの友人が、娘のピアスをなじったところ、「おとうさんだってカツラじゃないの。いったいどこがちがうっていうの」と言い返されて絶句したそうだ。
つまり娘の言わんとするところは、カツラもピアスも虚飾であり欺瞞であるのだから、そういう説教は目クソ鼻クソだというわけである。
この抗弁は正しい。絶望的なぐらい正しい。しかし、そのときやおらカツラをかなぐり捨てて、「よしわかった。今日からおとうさんもハゲを恥じずに堂々と生きるから、おまえもブスを恥じずに堂々と生きなさい」と、言える父親が果たしているであろうか。
自己管理を怠った結果であるデブは、ダイエットを心がければ容易になおる。しかし日々の精進の結果であるハゲは、どれほど強い意思を持とうが永久にハゲなのである。ハゲの悲劇性、ハゲの不条理性はこれにつきる。
蓼食う虫も好きずきとは言うが、私はかつて、私のハゲを魅力的だと言った女にであったことがない。ごくたまに、若い男よりゼッタイ中年がいいという娘はいるが、対象となりうるのは生えぎわにメッシュ状の白髪をたなびかせているようなオヤジで、ハゲは論外である。
ハゲがなぜ悪い。
だいたいハゲが醜いものだなどと決めつけるのは、一種の偏見である。偏向せる美意識が、娘たちをしてそう罵らせるのである。
この偏見の根拠は甚(はなは)だ明確で、ただ彼女らの初恋の人が誰一人としてハゲてはいなかったからに他ならない。
そんなことは当たり前だ。彼女らの愚かしさは、その初恋の人もいずれはハゲるのだということを、ちっとも想像しないところにある。
さあ、そうと決まれば潔くハゲよう。
かのショーン・コネリーは007のころよりも、ハゲた今のほうがずっと格好いいではないか。
(初出/週刊現代1995年2月11号)
さて、ここでクイズです。
流れ星を見たら、消える前に願い事を唱えると叶うという伝説がありますが、流れ星は一瞬で消えてしまうので、願い事を言うのが間に合わないことが多いですよね。
ところが、浅田さんは、必ず間に合うそうです。
さて、この「必ず間に合う願い事」とはなんでしょう?
ヒントは、漢字でもひらがなでもカタカナでも1文字。
正解はそう、「毛/け/ケ」です。
浅田次郎
1951年東京生まれ。1995年『地下鉄(メトロ)に乗って』で第16回吉川英治文学新人賞を受賞。以降、『鉄道員(ぽっぽや)』で1997年に第117回直木賞、2000年『壬生義士伝』で第13回柴田錬三郎賞、2006年『お腹(はら)召しませ』で第1回中央公論文芸賞・第10回司馬遼太郎賞、2008年『中原の虹』で第42回吉川英治文学賞、2010年『終わらざる夏』で第64回毎日出版文化賞、2016年『帰郷』で第43回大佛次郎賞を受賞するなど数々の文学賞に輝く。また旺盛な執筆活動とその功績により、2015年に紫綬褒章を受章、2019年に第67回菊池寛賞を受賞している。他に『プリズンホテル』『天切り松 闇がたり』『蒼穹の昴』のシリーズや『憑神』『赤猫異聞』『一路』『神坐す山の物語』『ブラック オア ホワイト』『わが心のジェニファー』『おもかげ』『長く高い壁 The Great Wall』『大名倒産』『流人道中記』『兵諌』『母の待つ里』など多数の著書がある。