ワインの海、小ネタの浜辺

天才ギャンブラーのワイナリーと「奇態」な美術館【ワインの海、小ネタの浜辺】第15話

ワイナリー「ムーリラ」を買った理由 収蔵品は全てオーナー、デイヴィッド・ウォルシュ氏のコレクションである。 自閉症で、数字の記憶に関する並外れた才能を持っていたウォルシュ氏は、数学を学ぶうちに、独自のアルゴリズムを編み出…

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オーストラリア大陸の南方に浮かぶタスマニア島に、世にも奇態な美物館がある。その名は「MONA」。アメリカ・ニューヨークの「MoMA」と一瞬見紛うが、あちらはご存じのようにThe Museum of Modern Art(近代美術館)の略称。対して、こちらはMuseum of Old and New Art(新旧美術館)の略だ。

岬の突端に建つ“要塞”のような美術館「MONA」

この美術館の何が「奇態」なのかと言えば、オーナーのバックグラウンド、設立の動機から展示作品の内容、展示方法まで──要は全てが、ということになる。

タスマニアの南部に位置するホバートはこの島最大の都市だ。人口は約26万人(2020年9月時点)。長らく閑静で穏やかな南の島(と言っても南半球の話なので、トロピカルではない)の小都市だったが、ここ数年、オーストラリア本土からの移住や投資がブームになり、にわかに地価バブルが起こっている。

複雑に入り組んだ海岸線に沿って開けたホバートの郊外、岬の突端に要塞のような佇まいでMONAは建つ。美術館の主要部分は地下にある。その深さは地下3階。岩を削って掘り下げられたその巨大な躯体だけでも見る価値がある。館内には順路もなければ、作品ごとの名前やデータを記したプレートの類もない(専用デバイスで作品の詳細を聴くことはできる)。展示作品は不定期に入れ替わる。

ミュージアム内のバーコーナー。岩盤を掘り下げた構造がよくわかる

展示作品の多くは、刺激的でユニークだ。中には挑発的、実験的と形容したくなるものもある。例えば、人間の消化器官を機械的に再現したインスタレーション(展示)がある。条件を整えた人工的な消化液の中に実際の食物を放り込んで消化のプロセスを見せるというもの。展示を始めてすぐに悪臭を放ち、来場者の不評を買ったため、すぐに別の形の展示(匂いは出ないがテーマは同じ)になった。

展示は不定期に入れ替えられる

ワイナリー「ムーリラ」を買った理由

収蔵品は全てオーナー、デイヴィッド・ウォルシュ氏のコレクションである。

自閉症で、数字の記憶に関する並外れた才能を持っていたウォルシュ氏は、数学を学ぶうちに、独自のアルゴリズムを編み出し、「無茶をしなければ確実にギャンブルで儲けられる方法」を身につける。自らその理論を実践して大富豪となったウォルシュ氏が始めたのが美術作品の収集だった。

1995年、ウォルシュ氏は当時売りに出ていたワイナリー「ムーリラ」のエステート(ブドウ畑を含む農地)を「気まぐれに」購入する。そこはイタリア移民のクラウディオ・アルコルソが50年代に開いたタスマニア最初期のワイナリーの一つだった。「私はムーリラのすぐそばで育った。子供のころはよくその前を通ったものだ」とウォルシュ氏は語っている。ワイン造り以外にもムーリラを買う理由がウォルシュ氏にはあった。彼は「芸術倉庫」を探していたのだ。アルコルソが住居として建てたモダンなデザインの円形建築はそのまま残し、その周辺と地下を大きく改修してつくったのがMONAであった。

一方、ワイン造りの方は、さすがの天才ギャンブラーでも意のままにならなかったようだ。そこで、2007年にカナダ人の醸造家、コナー・ヴァン・デル・リー氏を迎えた。フランスのラングドック地方やシャンパーニュ地方、オーストラリア国内各地で研鑽を積んだ人物だ。

コナー・ヴァン・デル・リー氏

コナー(ファーストネームで呼ばせてもらおう)の案内でブドウ畑と醸造施設を見せてもらった。緩傾斜地に開かれた畑では、奇妙なブドウ木の仕立てを見た。一列に植えられたブドウの幹が一本ごとに左右に引っ張られ、古代ギリシャの竪琴のような形に仕立てられ、2列に分かれている。本来なら畝間(うねま)になるところに葉が茂り、実がなるのだから、畑の中を歩くのも大変だろう。

噂の仕立て。作業が大変そう

「これはモディファイド・ライア(改良型竪琴)と呼ばれています。フランスのアラン・カルボノーというブドウ栽培のエキスパートが70年代に開発した仕立てが、ワイン造りの歴史の浅かったタスマニアに間違ったかたちで紹介されたもので、島の幾つかの畑でも見られます」

こんなところにも辺境ワイン産地の、奮闘の歴史が垣間見える気がして感慨深かった。

タスマニアの冷涼な気候、ブドウは天然の酸に恵まれる

クリーンな印象の醸造施設では、赤ワイン用の黒ブドウが小さな開放タンクの中で発酵中だった。コナーによると、同じ区画のブドウでも小さく分けて醸造し、それをブレンドすることでワインに奥行きを与えるようにしているとのこと。

レストランに併設されたセラードア(試飲・販売コーナー)で、12種類のワインをテイスティングした。

試飲したワインの一部。右端は、ウォルシュ氏が買収したプレミアム・ワイナリー「ドメーヌA」のワイン。こちらも現在はヴァン・デル・リー氏が造りを担当している

エントリーレーベルの「プラシス ソーヴィヨン・ブラン2021」は品種特性の草の香りがよく出て、そこにトロピカルフルールや蜂蜜のトーンがオーバラップしてくる。爽快感のある白ワイン。

上級レーベルの「ミューズ シャルドネ2019」は、熟れた青リンゴに乳酸菌飲料やオートミールのようなトーンが重なり、複雑でリッチ。コナーによると、気温差のある複数の畑からのキュヴェ(ワイン)をブレンドすることによって、複雑みを出したとのこと。

赤ワインで出色だったのは、「ミューズ シラー2016」。プルーン、イチゴジャムなどのアロマがくっきりと立ち、口の中では厚みがある。

総じて、生き生きとした酸に特徴があるように感じた。そのことを告げると、コナーは次のように語った。

「酸は私のワイン造りのスタイルの核となる部分です。 オーストラリアでは、場所によってワインに十分な酸が得られないところもあります。が、ここタスマニアでは冷涼な気候のおかげでブドウは天然の酸に恵まれます。それは賞賛されるべきことだと思います。この特性を表現するために、私は酸味を残すことを選びました。具体的にいうと、MFL(マロラクティック発酵。リンゴ酸を乳酸に変えることによりワインの酸味を和らげる工程)を行いません。酸を強調し、酸を中心にワインを構築しようとしているのです」

真剣試飲の後は、コナーのはからいで、レストランに移り、ランチを摂りながらさらにワインを楽しんだ。「ワラビーのタルタル」「海草がたっぷりと乗った発酵カボチャのリングイーネ」といったクリエイティブなメニューを食べながら、酸と果実味に秀でたワインを堪能した(ワラビーとシラーの相性が抜群だった)。奇態なミュージアムを鑑賞した後だったせいか、その食事も芸術的な刺激に満ちた体験であるように思われた。

ワラビーのタルタル。噛み応えがあり、肉の旨味を楽しめる。決して「奇食」の類ではない

ワインの海は深く広い‥‥。

Photos by Yasuyuki Ukita
Special Thanks to:Tourism Australia, Tasmanian Department of State Growth,Tasmanian Chamber of Commerce & Industry (TCCI)

浮田泰幸
うきた・やすゆき。ワイン・ジャーナリスト/ライター。広く国内外を取材し、雑誌・新聞・ウェブサイト等に寄稿。これまでに訪問したワイナリーは600軒以上に及ぶ。世界のワイン産地の魅力を多角的に紹介するトーク・イベント「wine&trip」を主催。著書に『憧れのボルドーへ』(AERA Mook)等がある。

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