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店主・中坪正勝ヒストリー 少年時代に過ごしたブラジルで食べたラーメン

「麺の坊 砦」を語るうえで、店主・中坪正勝さんの歴史を紐解かないとはじまりません。このパートではラー博に出店するまでの歴史をご紹介いたします。

「麺の坊 砦」店主・中坪正勝さん(2011年撮影)

【ラーメンを始めるまで】
中坪さんは1968年(昭和43)7月25日、富山県富山市生まれ。幼少期はままごとが好きだったようで料理の原点はここにあったのかもしれません。

10歳から約3年間、父親の仕事の関係でブラジルで過ごし、その時、父に連れて行ってもらった日本人街で食べたラーメンが好物で、それがきっかけで帰国後、自転車に乗って石川県や新潟県のラーメンを食べ歩くようになり、小学校の頃から今でいうところのラーメンフリークだったようです。

中学1年の頃の中坪さん

大学受験に失敗した中坪さんは、寝袋ひとつで旅に出ました。目的はラーメンの食べ歩きで、福岡へ。ガイド本を片手に、1日に8軒のペースでラーメン店を約30軒以上食べ歩いた中、一番自分が美味しいと思った一風堂の味に惹かれ、一風堂の門をたたきました。1987年(昭和62年)の事でした。

店主・河原成美さんからは「ラーメンを覚えようと思うんやったら3年間は、しっかり頑張れよ」と言われ、3年後には地元富山に帰り、店を持つことを夢見ていたようです。

【一風堂時代】
目標の3年が過ぎた頃、中坪さんは河原さんに「3年経ったので独立したい」と申し出たところ「まだ早い」と言われました。中坪さんは独立する資金もまだ貯まっていなかったこともあり、もう少し頑張ることに。

中坪さんが働いていたころの一風堂大名本店(1993年撮影)

そして、一風堂に来て6年が経った1993年、ある程度資金もたまったこともあり2回目の独立を申し出たところ、河原さんから「中坪、出張に行くぞ」と言われ、連れていかれたのが、開業前の新横浜ラーメン博物館でした。

中坪さん曰く「その頃よくわからなかったのですが、一風堂が新横浜ラーメン博物館に出店するテレビの密着(日本テレビ「スーパーテレビ」)があり、とんとん拍子でラー博店の店長をやることになりました。自分としては中々ない機会だからもう3年頑張って独立しようと思いました」とのことです。

中坪さんと河原さん。一風堂山王工場にて(1999年頃)
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「いま居る処が最後の砦」という師匠の言葉...
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おとなの週末Web編集部
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