江戸初期、連歌師であり俳諧(俳句)の祖として知られる松永貞徳(1571~1653)によって京都の三社寺に作庭された「雪月花の三庭苑」は、遠く江戸までその評判が届くほど美しい庭として知られていました。しかし、長い時を経て『北野天満宮』の「花の庭」は失われ、『清水寺』の「月の庭」は非公開に、常時拝観できるのは京都市中心部から左京区岩倉に移転した『妙満寺』の「雪の庭」だけとなっていました。
2022年によみがえった三庭苑 同時に鑑賞できる貴重な機会
その三庭苑がよみがえったのが2022年。「花の庭」が再興され、「雪の庭」も大規模改修を終えたことをきっかけに三社寺が協力。この春、三庭苑を同時に観られるまたとない機会が訪れています。
満開の梅花に囲まれた梅苑「花の庭」の再興
いまでこそ春になると日本中が桜に熱狂しますが、平安の頃から長い間「花」といえば梅のことでした。その梅花をこよなく愛したのが平安時代に学者・政治家として活躍した菅原道真公。学芸に秀で「学問の神様」として広く知られる御祭神 菅原道真公(菅公)を祀る北野天満宮は、境内に50種1500本もの梅の木を持つ全国天満宮の総本社です。毎年開花のシーズンに公開される「梅苑」だけでなく、この時季は国宝の御本殿の前や参道など、境内のいたるところで可憐な花を咲かせています。
三庭苑のひとつ「花の庭」はそんな「梅苑」の中、梅の木に囲まれる姿で再興されました。もともとは北野天満宮に50ほどあった塔頭寺院のひとつ「成就坊」の庭として造営されたもので、明治の廃仏毀釈の折に成就坊とともに失われ、石のみが保存されていたそう。権禰宜の堀川雄矢さんによると「“雪月花”とは菅原道真公が師と仰いだ8世紀中国の詩人・白居易の漢詩に由来し日本の美意識に強く影響した語ですが、日本の古典に精通した松永貞徳もまた歌人としての菅原道真公(菅公)を敬慕しており、その由縁で「花の庭」が造られたと伝わっています」とのこと。
現在、北野天満宮では2027(令和9)年の式年大祭「菅公千百二十五年半萬燈祭」に向けて旧儀の復興と境内の整備を進めています。「当宮に遺る膨大な記録を少しずつひも解き、失われていた神事を復興させています。過去にある宝をよみがえらせる作業で、『花の庭』再興もその一環です」。二度と見ることができなかったかもしれない「花の庭」が令和の世に再び姿を現したと知れば、花の美しさのみならず時の流れも感じる、胸にしみ入る情景が広がります。