「痩身こそ美徳」はいつ始まった?
ところで話はぜんぜん変わるが、マライア・キャリーは好い女だ。
グラミー賞を逸したことについては、「なぜだっ」と叫びたくなるが、ともかく溜息の出るほど魅力的な女性である。外国人女性にはまったく興味を感じない私がかくも魅了されるのは、ちと古い話になるがナタリー・ウッド以来のことであると思う。
来日を報ずるニュースにボーッと見とれながら、この魅力のみなもとははたして何であろう、と考えた。
答は簡単、世のおやじどもはみなすべて同様の認識をしておられるものと信ずる。全体的にやや太め、あの腕の太さ、体の丸さがたまらんのである。
おのれの女性に対する美意識の変遷をたどって行くと、年齢とともに太めが好きになるような気がする。決してデブ・フェチというわけではない。デブは御免だが、ファッション・モデルのようなガリガリはもっと御免である。44歳の今日、ある程度の肉感性を感じない女性には、まったく興味すら湧かないと言っても過言ではない。
だから、妙齢の女性がなぜかくもダイエットに汲々とするのか、指先にテープを巻き、高価な代金を支払ってエステに通ってまでも、なにゆえさらなる痩身を目ざそうとするのか、私は理解に苦しむのである。
女性は断じて太めがよろしい。思うに、世の女性はことごとく「私はデブ」という強迫観念に捉われているのではなかろうか。私の知る限り、客観的に見て明らかなるデブは決して自らをデブだとは言わず、どう考えてもころあいとしか思えぬ女性に限って、「私はデブだ」と悩んでいるように思える。
そもそも「痩身こそ美徳」と考えるのは、決して美学的な真実ではなく、一種の風潮、もしくは時代の幻想ではなかろうか。この考えを「おやじの趣味」と侮ってはならない。なぜならおやじの視線には知性のかけらもなく、常に動物的本能をもって女性を見るのであるから、「おやじの趣味」はすべからく「美的真実」なのである。
たとえば、今日的常識で言うならばミロのヴィーナス像はまちがいなくデブである。おそらく身長160センチに対して60キロ台の肉置(ししお)きであろうと思料される。古代ギリシア人の美意識は人類史上もっともプリミティヴかつリベラルなもので、少くとも現代のエステテイシャンたちの美学が彼らを凌駕しているとは思えない。
あるいはわが国美人画の白眉、正倉院御物の「鳥毛立女屛風(とりけだちおんなびょうぶ)」をご存じであろうか。肉体の線は柔らかな衣に被われているので明らかではないが、ふくよかな顔立ちから推し量るに、あれはおそらく身長150センチ70キロ級のデブであろう。だが少くとも彼女は、唐代の貴婦人の理想であった。
ではいったいいつのころから「痩身こそ美徳」という考え方が生じたのかというと、これはたぶん、思いがけないほど最近のことなのではなかろうか。私は美術史家ではないので自信を持って言うわけではないが、ルノワールの女はみなデブであり、ロートレックは好んでモンマルトルの痩せ女を描いた。どうやらこのあたりから、痩身を美しいものと認識する風潮が生じたように思える。2人の画家にはおよそ20年の年齢差があるが、おおむねわが国でいう明治期にあたる。そういえば、鏑木清方(かぶらぎきよかた)の描く女はデブ、竹久夢二の美人画はみな病的なほど痩せている。
かくて女たちは、歴史的に言うならほんの一過性の、時代の幻想とも言える風潮のままにさらなる痩身をめざす。一方、動物的本能のままに女性を見るおやじどもは、ナゼ痩せるのだと嘆く。
またいつだったか、私の小説を何本も映画にして下さっている高橋伴明監督から、まことに興味深いお話を聞いた。
インドはたいへん娯楽映画の盛んな国であるが、ヒーローもヒロインも、みなおしなべてデブなのだそうである。つまり、インド人の美意識では、痩身はむしろ醜悪なのであって、画面いっぱいに愛を囁き合い、並みいる観客を陶然と酔わせる美男美女は、みなデブでなければならないのだそうだ。
そう言われてみれば成田の待合室でときおり見かけるインドの貴婦人は、たいてい美しいサリーの下に豊満な肉体を保っている。
ダイエットが悪いことだとは思わないが、公平な美意識を損うような痩せ方はご遠慮ねがいたい、と切に思う。やや太めかな、という感じが、実は最も男性を魅了する体型であることをご婦人方は理解していただきたい。フェミニストを自認するひとりのおやじとして心より熱望する次第である。
それにしても、マライア・キャリーは好い女だ。
(初出/週刊現代1996年3月23日号)
浅田次郎
1951年東京生まれ。1995年『地下鉄(メトロ)に乗って』で第16回吉川英治文学新人賞を受賞。以降、『鉄道員(ぽっぽや)』で1997年に第117回直木賞、2000年『壬生義士伝』で第13回柴田錬三郎賞、2006年『お腹(はら)召しませ』で第1回中央公論文芸賞・第10回司馬遼太郎賞、2008年『中原の虹』で第42回吉川英治文学賞、2010年『終わらざる夏』で第64回毎日出版文化賞、2016年『帰郷』で第43回大佛次郎賞を受賞するなど数々の文学賞に輝く。また旺盛な執筆活動とその功績により、2015年に紫綬褒章を受章、2019年に第67回菊池寛賞を受賞している。他に『きんぴか』『プリズンホテル』『天切り松 闇がたり』『蒼穹の昴』のシリーズや『日輪の遺産』『憑神』『赤猫異聞』『一路』『神坐す山の物語』『ブラック オア ホワイト』『わが心のジェニファー』『おもかげ』『長く高い壁 The Great Wall』『大名倒産』『流人道中記』『兵諌』『母の待つ里』など多数の著書がある。