新横浜ラーメン博物館・あの銘店をもう一度

“ニンニククラッシャー”はこの店から始まった!博多ラーメンの名店「ふくちゃんラーメン」 素通りさせない店からわざわざ通う店へ 

ふくちゃんラーメン。「素通りさせぬ店の味」の文字が分かる

新横浜ラーメン博物館(横浜市)は、30周年を迎える2024年へ向けた取り組みとして、過去に出店した約40店舗が2年間かけて3週間のリレー形式で出店するプロジェクト「あの銘店をもう一度」を2022年7月1日から始めています…

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新横浜ラーメン博物館(横浜市)は、30周年を迎える2024年へ向けた取り組みとして、過去に出店した約40店舗が2年間かけて3週間のリレー形式で出店するプロジェクト「あの銘店をもう一度」を2022年7月1日から始めています。このプロジェクトにあわせ、店舗を紹介する記事の連載も同時に進行中。新横浜ラーメン博物館の協力を得て、「おとなの週末Web」でも掲載します。

8月29日から始まる第21弾は、博多ラーメンの名店「ふくちゃんラーメン」です。

福岡で圧倒的人気の行列店

第21弾は、福岡で圧倒的な人気を誇る「ふくちゃんラーメン」さんです!

【あの銘店をもう一度・第21弾・「ふくちゃんラーメン」】
出店期間:2023年8月29日(火)~2023年9月18日(月)
出店場所:横浜市港北区新横浜2-14-21 
     新横浜ラーメン博物館地下1階
     ※第19弾「カーザルカ」の場所
営業時間:新横浜ラーメン博物館の営業に準じる

・過去のラー博出店期間
2004年8月3日~2009年11月24日

ラー博店の行列

岩岡洋志・新横浜ラーメン博物館館長のコメント「他の博多ラーメンとは違う、今までにない新しい味」

1992年当時、博多は重要な地域ですので、重点的に食べ歩いていましたが、ふくちゃんラーメンで初めて食べた時には、今までにない新しい味だと驚きました。他の店と比べて醤油感があり(当時は醤油感とはわかりませんでした)、キレとコクのある食べやすいラーメンで、大変人気がありおいしかったのですが、ご当地ラーメンとして紹介するのはどうかと考えてしまうほど、私には他の博多ラーメンとは違う味に感じていました。しかし、歴史を調べると紛れもなく博多の老舗ラーメン店だったのです。

話は飛びますが、2003年ごろの誘致の際は、ラー博出店に関して前向きに考えていただいたのですが、人を出す余裕がないという事でした。そこで三代目のお姉さんである伸江さんに猛烈にアプローチをするのですが、何度も会ううちに伸江さんのことがよくわかるようになり、ある時「お母さんのために」ラー博出店を検討するという言葉を聞きました。その時、「自分でやりたくないならやめた方がいいですよ」と言ったことを覚えています。相手が幸せになれないなら、あきらめるしかないと思ったのです。結果的にご出店いただきましたが、あの時真摯に向き合った事が良かったのではと自負しております(笑)。

長浜の屋台で修業し、昭和50年に創業

創業者の福吉光男さんは昭和30年代、当時長浜にあった「しばらく(屋台の支店)」で修業を積み、そこで出会った千恵子さんと結婚。その後、独立して、昭和50年8月1日、福岡市早良区百道(さわらくももち)に店を構えました。屋号「ふくちゃんラーメン」は福吉さんのあだ名に由来しています。

ふくちゃんラーメン開店時の外観(1975年8月1日)

店は繁盛し、多くの常連客で賑わうも、昭和54年、福吉さんは病気になり、店を閉めざるを得なくなりました。福吉さんは何としてもお店を残したいと思い、そこで白羽の矢が立ったのが、妻・千恵子さんの妹さん(榊美恵子さん)のご主人である榊順伸さんでした。

順伸さんはラーメン作りの経験はなく、突然の話に戸惑いました。そのため順伸さんと美恵子さんが独学でラーメンを作ることとなりました。

会社勤めの順伸さんは、会社をすぐ辞める訳にはいかず、会社が終わると自宅の湯船を釜に、タオルを麺に見立てて特訓をしたそうです。麺あげをする右腕に湿布が貼っていない日はなかったほどの特訓だったようです。

百道時代の榊順伸さん(1993年撮影)

「繁盛しているお店なので自分に代わったから味が落ちたとは言われたくなかった」という順伸さんの言葉通り、その想いが形となり、数年後には徐々に順伸さんのお客さんがついてきました。

博多ラーメンの新興勢力

その後、ふくちゃんラーメンの評判は「博多ラーメンの新興勢力」として口コミで広がり、次第に行列が絶えなくなり、長いときには1時間半もの待ち時間となりました。

百道時代の行列(1993年撮影)

2004年のラー博出店時に取材した、常連さんのインタビュー記事が残っています。この方は1975年のオープン当初からふくちゃんに通い続けている常連さんでした。

「私にとって、ふくちゃんの味は衝撃的でした。他の店に比べとんこつ特有の臭みがなく、何よりもコクがありました。2~3日経つと、ふくちゃんのラーメンが無性に食べたくなり、正に禁断症状でした」とのこと。

その当時の博多ラーメンはどちらかというと骨太な味が主流で、ラーメン好きの博多っ子にとって、キレとコクを兼ね備え、とんこつ特有の臭みのないマイルドなふくちゃんの味に、次第に魅了されていきました。

ふくちゃんラーメンのラーメン

現在ふくちゃんの看板に書かれている「ふくちゃんが素通りさせぬ店の味」は、常連さんがふくちゃんに捧げた言葉なのです。

ふくちゃんが素通りさせぬ店の味

そしてこのふくちゃんの味はお客さんだけでなく、後に出現するニューウェーブと呼ばれる店々にも大きな影響を与えることとなるのです。言わばふくちゃんは、現在のニューウェーブ博多ラーメンの礎となったお店なのです。

また、来々軒という屋号が全国様々な場所で見受けるように「ふくちゃんラーメン」と名乗る店も東京や福岡にもありますが、博多の「ふくちゃんラーメン」は正真正銘ここ一軒です。

路上駐車のクレームで郊外に移転

ふくちゃんラーメンはその後、口コミと、様々なメディアにも取り上げられ、常に1時間~2時間待ちの長蛇の列と、ふくちゃんラーメンを目指してくる車で渋滞が出来ていました。繁盛店の宿命と言うべきか、行列が長くなるにつれて路上駐車による近隣からのクレームが出始めたのです。

渋滞も…

この時すでにふくちゃんは、博多を代表するラーメン店として、福岡では知らないものがいないほどの地位に君臨していました。しかし、日に日にクレームは増え、次第にそのクレームは順伸さんにとってストレスへと変わっていきました。

”こんな状態じゃ美味しいラーメンが作れない”

悩んだ末に順伸さんが出した結論は「移転」でした。新横浜ラーメン博物館が開業した1994年のことです。百道は人通りも多く、ラーメン店をやるには好立地であり、その上20年かかって築きあげた常連さんもいます。

そんな好条件があるにもかかわらず移転を決断したのは、順伸さんのラーメンにかける想い、つまりラーメン作りに集中できないからでした。順伸さん曰く「結局お客さんがたくさん来てくれても、美味しいラーメンを提供できなければお客さんは離れてしまいます。であれば美味しいラーメンが作れる環境に移転するのが一番いい方法なのだと思いました。あのままやっていれば、いずれお客さんは素通りしてしまいますよ」と。

そして選んだ移店先は博多から車で30分ほどかかる早良区田隈(たぐま)の閑静な住宅街でした。

移転した田隈本店の駐車場(2022年撮影)

この場所は飲食店をやるにはタブーといわれた立地で、当時近くには電車も通っておらず(2005年に地下鉄が開通)、車かバスで行くしか方法はありませんでした。素通りする人すら歩いていない言わば、ふくちゃんに行く目的がないと行かない場所なのです。しかし二代目夫婦はこの場所で新たにふくちゃんをスタートさせたのです。

移転した直後はさすがにお客さんの数は減りましたが、ふくちゃんの味に魅了された以前の常連さんが移転を知り、次々と押し寄せてきたのです。

ふくちゃんをこよなく愛する常連さん曰く「ふくちゃんが山の中に移転しても俺は食べに行くよ」。

こうしてふくちゃんは「素通りさせぬ店」から「ラーメンをわざわざ食べに通う店」へと変わっていったのです。

田隈本店の行列(2004年撮影)

突如訪れた世代交代

現在、本店を切り盛りしているのは順伸さんの長男であり三代目の伸一郎さん。田隈へ移転したころから店を手伝うようになり様々な葛藤を超え、大学を卒業すると同時にふくちゃんを継ぐことを決心しました。

頑固一徹の職人であった順伸さんは、伸一郎さんに対しても一切やり方を教えませんでした。「見て覚える」という昔ながらの職人のやり方で、伸一郎さんは見よう見まねでラーメン作りを覚えました。

そんなある日、店を仕切っていた順伸さんが突如倒れました。いづれ来る世代交代が最悪の事態で訪れました。2003年の1月の事でした。

その2日後「店を開けて、あなたがやって」と、姉たちに促されるまま、伸一郎さんは父親の定位置であるカウンター向かいの右奥で麺を上げ、ラーメンをつくりました。

伸一郎さん曰く「父の隣で10年近く一緒にやって来ましたが、突如父の定位置をやることになり、もの凄い重圧でした。目の前にいるのは長く通われている常連さんばかり。正直お客さんの顔を見ることすらできないほどの緊張でした。最初の1~2年は常連さんからお叱りの言葉もいただきました。しかし、続けていくには私自身がお客さんから信頼されなければならない。そのために自分が出来ることは何だろうと真剣に考えました」

順伸さんが逝去して18年。父親の定位置に立ち始めて20年の月日が経ちました。そして伸一郎さんが出した答えは「お客さんの表情から察しながら、そのお客さんのために一杯ずつ想いを込めてラーメンを作ること」でした。

新横浜ラーメン博物館10周年で、念願の出店

新横浜ラーメン博物館がオープンする前、博多代表として「ふくちゃんラーメン」、「八ちゃんラーメン」、「一風堂」といった店舗が候補として挙がっていました。

誘致活動を始めた1992年頃、博多で圧倒的に支持を受けていたのは当時百道にあった「ふくちゃんラーメン」でした。ただその当時、あまりにも忙しく、話をする時間もほとんどない状況でした。

そして2003年頃、再度ふくちゃんラーメンにアプローチをかけました。その時一番興味を持ってくれたのが順伸さんご夫婦でした。ただ、代替わりしたばかりの本店も忙しく、人を出す余裕がありません。

そんな中、順伸さんが倒れ、母への負担が大きくなるのを見かねて、数年前に福岡に戻っていた次女の伸江さんは念願であった自分の店(喫茶店)をオープンし、週末だけ、ふくちゃんラーメンを手伝っていました。

伸江さんの人柄から喫茶店は徐々に常連さんが付きはじめ、経営は軌道に乗り始めていました。

次女の榊伸江さん

出店の話が進むに連れ、人の問題で家族は悩んでいました。母親としては、今まで苦労して自分の店を持った娘に対して「横浜へ行ってくれ」とはどうしても言えませんでした。

しかし伸江さんはお母さんの表情から「自分に横浜に行ってほしい」というのがすぐ分かりました。相当悩んだ末に伸江さんは自分の店を閉めて、横浜に行く事を決心しました。「今までお母さんには迷惑ばかりかけました。あそこまで困っているお母さんを見て、安心させてあげたかった」伸江さんの想いはそれだけでした。

こうして2004年8月、ラー博10周年の年に、念願のふくちゃんラーメンがオープンしました。

素通りさせないふくちゃんの味

ふくちゃんラーメンのラーメン

【博多本来の中細麺】
一般的に九州のラーメンは極細であるという認識をもたれているのですが、それは替え玉の発祥である長浜の流れを汲むラーメン店がそうであり、本来博多の麺は長浜より少し太い麺が昔から使われていました。ふくちゃんラーメンの麺はその昔ながらの博多の麺を使用。麺は低加水(小麦に加える水の量が少ない)のため、濃厚なスープを吸い込み相性は抜群です。

麺をゆでる

【その後のラーメン店に影響を及ぼすスープ】
スープに使われる食材は創業以来、豚頭のみ。本来単一の食材のみで作られるスープはどうしても臭みがでるものですが、ふくちゃんラーメンのスープは臭みがなく且つコクがあります。

スープ

その秘密は「熟したスープ」と「新しいスープ」とのブレンドでした。「新しいスープ」にはキレはあるが、コクがない。そのコクを引き出すのが「熟したスープ」なのです。

【進化し続ける秘伝のタレ】
一般的な博多ラーメンのタレは塩ダレ又は薄口醤油で味付けされているのに対し、ふくちゃんラーメンのタレは「濃い口醤油」と「うま口醤油」をブレンドしたものに、和風素材や数10種類の香辛料が加えられています。

そのため一般的な博多ラーメンと比べると、醤油感が強く感じるのですが、ブレンドされた濃厚なスープがその醤油感をマスキングするため、なんとも言えぬ絶妙な風味と味わいを醸し出しているのです。

秘伝のタレ

ニンニククラッシャーの先駆者

博多ラーメンの特徴の一つとして今や定番となっているのが、テーブルに置かれている紅生姜、高菜、擦り胡麻、生ニンニクなどの薬味です。これらの薬味は昔から使われていたわけではありません。それぞれ発祥の店があり、そこから広がり今や定番となっています。

そのなかで、生のニンニクをクラッシャーで潰して食べる方法を最初に始めたのはふくちゃんラーメンです。

あらかじめ擦ったニンニクでは風味がよくなく、フレッシュなものをその場で食べてもらいたいという想いから、当時流通していなかったクラッシャーを探し、スイス製のレモン絞り機を見つけ使い始めたのです。

ニンニククラッシャー

博多っ子三兄弟のお店

前述通り、田隈の本店は長男の伸一郎さんが切り盛りしています。

【ふくちゃんラーメン本店】
住所:福岡県福岡市早良区田隈2-24-2
電話:092-863-5355

ふくちゃんラーメン田隈本店

伸江さんは現在、福岡県早良区原で「江(こう)ちゃんラーメン」の店主です。

【江ちゃんラーメン】
住所:福岡県福岡市早良区原3-10-16
電話:092-843-8238

そして長女の美子さんは旦那さんと「ふくちゃんラーメン英美(ひでみ)」を運営。

【ふくちゃんラーメン英美】
住所:福岡県宗像市野坂2648-1 ユアーズプラザ
電話:0940-37-0034

今回の出店は、ラー博店の店長でもある次女の伸江さんが中心となって3週間、ふくちゃんラーメンの味を披露します。本店の店休日には伸一郎さんも駆けつけていただきます!

再来年創業50周年を迎えるふくちゃんラーメンの味を是非この機会にご堪能ください!!

『新横浜ラーメン博物館』の情報

住所:横浜市港北区新横浜2-14-21
交通:JR東海道新幹線・JR横浜線の新横浜駅から徒歩5分、横浜市営地下鉄の新横浜駅8番出口から徒歩1分
営業時間:平日11時~21時、土日祝10時半~21時
休館日:年末年始(12月31日、1月1日)
入場料:当日入場券大人380円、小・中・高校生・シニア(60歳以上)100円、小学生未満は無料
※障害者手帳をお持ちの方と、同数の付き添いの方は無料
入場フリーパス「6ヶ月パス」500円、「年間パス」800円

※協力:新横浜ラーメン博物館
https://www.raumen.co.jp/

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