砂丘の掘建て小屋の奥に3本のピンフラッグ 1875年、リストウェルに住む不動産業者、C・M・モンセラットは鉄道会社の人間と連れ立って、背丈より高い葦の茂みをかきわけながら砂丘の中央まで踏破した。 そのとき、突如として流木…
画像ギャラリー今から20数年前、ゴルフファンどころか、まったくゴルフをプレーしない人々までも夢中にさせたエッセイがあった。著者の名は、夏坂健。「自分で打つゴルフ、テレビなどで見るゴルフ、この二つだけではバランスの悪いゴルファーになる。もう一つ大事なのは“読むゴルフ”なのだ」という言葉を残した夏坂さん。その彼が円熟期を迎えた頃に著した珠玉のエッセイ『ナイス・ボギー』を復刻版としてお届けします。
夏坂健の読むゴルフ その28 砂丘に棲む仙人
トム・ワトソンも絶賛したコース
アイルランドの国宝的コース「バリバニョン」は、世界名コース百選の中でも常に上位にランクされて、ゴルフ教信者の巡礼が絶えない。
ひとたびコースに足を踏み入れた瞬間、目前に広がる壮厳にして雄大な野性的景観に誰もが魂まで奪われる。しかも、印象が強烈すぎて、その後何年にもわたって夢遊病状態から立ち直れないのである。
私の場合も、寝つきの悪い夜には巡り歩いた国の名コースに思いを馳せるのが若いころからの習慣だが、アイルランドではバリバニョン、ポートマーノック、ラヒンチ、ロイヤル・ポートラッシュ、キラーニーといった名コースが脳裏に登場して息苦しい限り、さらに寝つきが悪くなる。
とりわけバリバニョンの芸術的としか表現できない流麗な砂丘のスペクタクルは、いますぐに駆け戻りたいほど蠱惑的である。もちろん、このコースに惚れ込み、生涯の聖地として畏敬し続けるのは私一人ではない。
「これまで見たリンクスの中でも最高。彼方に神がおわすと思わせる啓示的光景の連続に、鳥肌の立つ思いがした。地球上の全ゴルファーに、一度は訪れるよう進言する」(文豪、ハーバート・ウォーレン・ウィンド)
「純粋無垢の自然がゴルフ最大の喜びとするならば、私はバリバニョンの希有なる存在に率先して一票を投じたい」(ピーター・ドーベライナー)
「コース設計家たらんとする者は、まずここに住み、風と光と起伏について学び、それからゴルフの仕事を始めるべきである」(トム・ワトソン)
バリバニョンを訪れた者は、その瞬間から豊饒な想い出の中で生きることになる。
さて、アイルランドの南西に位置するケリー州は、かつて大陸から渡来した多くの種族の遺跡が豊富に残されるところから、考古学者のあいだで「垂涎の地」と呼ばれてきた。
トラリーの小さな町から北に40キロ、美しく流れるシャノン川の南岸沿いには、1世紀ほど前までアイルランドでも珍しいヤシ科の樹木が延々と密生していた。結果として、その茂みが遮蔽に役立ったと思われるが、1850年ごろまで、川の背後に世界屈指の壮大な砂丘が存在するとは、近くのリマリック市民でさえ知る者が少なかった。
地質学者によると、永劫の歳月、大西洋の荒波と風が海底の砂を押し上げて荒涼たる砂丘が形成されたという。風は気まぐれに複雑な斜面を作り、光り輝く尾根から一気に小さな谷に向かって吹き下りると、人知では計測不能の起伏が取り残された。
砂丘の掘建て小屋の奥に3本のピンフラッグ
1875年、リストウェルに住む不動産業者、C・M・モンセラットは鉄道会社の人間と連れ立って、背丈より高い葦の茂みをかきわけながら砂丘の中央まで踏破した。
そのとき、突如として流木などを集めて作ったと思われる奇妙な形の小屋が出現してわが目を疑った。しかも、信じられないことに小屋の前の斜面が整えられて、なんと3本の手作りのピンフラッグがはためいているではないか。
「にわかに信じられない光景だった。僻地といって、この世にこれ以上隔離された土地もないだろう。そこに人が住み、しかもゴルフコースまで作って暮らすとは、いかなる人物なのか」
彼はリマリックの『市史』に、こう書いている。
夕刻まで待つことしばし、やがて葦をかきわけて一人の老人が姿を現わした。伸び放題の白髪は肩まで届き、眼光炯々、骨格逞しく、身にまとう衣服は粗末だったが、日焼けした表情に稚気が宿って笑顔も人なつこかった。
老人は不意の来客に驚いた様子だったが、怪しい者ではないとわかると、トム・ハリントンと名乗って、小屋に招き入れてくれた。
「界隈には無数のウサギとシカが棲息するので肉に不自由しないし、河口まで出掛ければ、サケ、ニシン、カニも取り放題。ここは美食の宝庫だと、老人は言った。また、10年前から1人暮らしをしているが、別に不自由など感じたこともない、文明社会のほうが不自由なものよ、と呵々大笑した」(同書より)
不動産業者のモンセラットは、自分がゴルフ好きだったこともあって、何よりもまず3本のピンフラッグについて尋ねてみた。
「若いころからゴルフが好きでな。僻地に1人でいられるのも、ゴルフあってこそ。何しろご覧の通り周囲は砂だらけ、バンカーショットだけは誰にも負けんぞ」
「ゴルフは、いつごろから?」
「物心ついたときには、もうクラブを振っとった。スコットランドのマッセルバラで暮らしていたころには、仕事よりゴルフに費やす時間のほうが倍も多かったものよ」
「なぜ、ここに?」
老人は答えず、逆に質問に転じた。
「あなた方は、どんな用事かな?」
「砂丘の先端に別荘地の開発を考えています。また、こちらの鉄道会社では新しい線路の敷設も考慮中です。さらにL&B鉄道では、ゴルフコースが作れないか、検討しています。ところが来てみると、すでにピンフラッグが立っている、本当に驚きました」
「邪魔はしないよ。私は大自然の片隅を寸借するだけの人間、いつでも立ち去る用意がある。ここで諸君に忠告しておこう。この土地は複雑怪奇、砂丘でありながら小川が流れ、予想外に深い谷も点在する。十分に注意しないと怪我人が出るだろう」
コース設計にも詳しい謎の老人
町に戻ったモンセラットは、遭遇した不思議な老人の話をする際、「Un-worldly man」と表現する。浮世離れした人間、あるいは仙人とでも訳そうか。
うわさが広まって、わざわざ小屋を覗きに行く者もあったが、老人は嫌な顔ひとつせず、自分で考案した罠について説明したり、魚が多く獲れる場所まで町民に教えるのだった。
半年後、すべての計画がスタートした。老人は土地案内人として月5ポンドで鉄道会社と契約したが、1893年になってゴルフ場工事が始まると、いきなり思いがけない才能が発揮された。子細に図面を眺めていた彼が、やがて首を振りながら言った。
「これでは平凡なコースで終わってしまう。リンクスの特性が生かされていない。バリバニョンの砂丘は神が創造されたもの、その摂理に従って地形が命ずるままにレイアウトすべきである」
乞われるままに、老人は一枚の図面を完成させた。これぞ1898年8月まで存続した初期のバリバニョンの18ホールであり、現在でも6ホールが原形を保っている。各ホールとも雄大な起伏と調和し、太古から茂るラフがハザードとして起用される見事な設計であり、老人がただ者でないことを物語っている。
「トム・ハリントンとは、何者か?」
クラブ史はもとより、リマリック市に残る古文書、鉄道会社の資料まで当たってみたが、いまだ正体がわからない。自ら巧みにボールを打ってレイアウトに修正まで加えたというから、並みのゴルファーではないだろう。
あるいは赤痢の蔓延によって家族を失い、マッセルバラから何処ともなく立ち去った全英ストローク選手権の覇者、トム・バーウィクの意外な晩年の姿だろうか? そうだとしたらゴルフ史上の新発見になるはずだ。ああ、また今夜も眠れそうにない。
(本文は、2000年5月15日刊『ナイス・ボギー』講談社文庫からの抜粋です)
夏坂健
1936年、横浜市生まれ。2000年1月19日逝去。共同通信記者、月刊ペン編集長を経て、作家活動に入る。食、ゴルフのエッセイ、ノンフィクション、翻訳に多くの名著を残した。毎年フランスで開催される「ゴルフ・サミット」に唯一アジアから招聘された。また、トップ・アマチュア・ゴルファーとしても活躍した。著書に、『ゴルファーを笑え!』『地球ゴルフ倶楽部』『ゴルフを以って人を観ん』『ゴルフの神様』『ゴルフの処方箋』『美食・大食家びっくり事典』など多数。
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