松平定知の「一城一話55の物語」

日本とロシアの摩擦が築城のきっかけに 「松前城」は最後の日本式城郭

松前城(「Webサイト 日本の城写真集」より)

『その時歴史が動いた』や『連想ゲーム』などNHKの数々の人気番組で司会を務めた元NHK理事待遇アナウンサーの松平定知さんは、大の“城好き”で有名です。2012年8月からは車雑誌「ベストカー」に月1回、全国各地の55のお城…

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『その時歴史が動いた』や『連想ゲーム』などNHKの数々の人気番組で司会を務めた元NHK理事待遇アナウンサーの松平定知さんは、大の“城好き”で有名です。2012年8月からは車雑誌「ベストカー」に月1回、全国各地の55のお城を紹介する記事を連載。20年には『一城一話55の物語 戦国の名将、敗将、女たちに学ぶ』(講談社ビーシー/講談社)として出版されました。「47都道府県の名城にまつわる泣ける話、ためになる話、怖い話」が詰まった充実の一冊です。「おとなの週末Web」では、この連載を特別に公開します。旗本の末裔で、NHK時代に「殿」の愛称で慕われた松平さんの妙趣に富んだ歴史のお話をお楽しみください。

北海道で唯一の藩「松前藩」の居城

北海道で唯一の藩、松前藩の居城が松前城です。ゴローニン事件に代表される日本ロシアとの摩擦が松前城を作るきっかけになります。松前城は嘉永7(1854)年に完成した最後の日本式城郭です。

慶長9(1604)年に徳川家康が、初代藩主となる松前慶広に蝦夷地の領有権とアイヌとの独占交易を認めたことで松前藩が成立します。松前藩は1万石とされましたが、当時北海道で米は獲れませんでしたから、実際は1万石格ということでした。松前藩の財政はアイヌとの交易によって支えられたのです。松前藩は広大な北海道をすべて治めていたわけではありません。松前など渡島半島南部の一部を和人地あるいは松前地と呼び、それ以外を蝦夷地と呼んで区別しました。いうならば和人地を治め、蝦夷地に住むアイヌの人々と交易することで松前藩は収入を得たのです。

松前城   Paylessimages@Adobe Stock

ロシアが毛皮を求めて南下、ラッコやオットセイの宝庫「千島列島」

黒船というと嘉永6(1853)年ペリーがアメリカの東インド艦隊を率いて日本にやってきた事件を連想しますが、その100年以上前の元文4(1739)年シュパンベルグ隊長率いるロシアの探検船がやってきました。実際はそれ以前よりロシアはヨーロッパ市場において高値で取引されていた毛皮を求めて南下し、ラッコやオットセイの宝庫である千島列島にやってきています。

シュパンベルグはさらなる日本近海の調査にやってきたのです。仙台領である牡鹿半島の南に浮かぶ網地島(あじしま)で日本人と遭遇、安房国天津村には上陸しています。「元文の黒船」と呼ばれる事件です。当時は八代将軍吉宗の時代ですが、相当な脅威だったのでしょう、ロシア船であったことは幕府内でも極秘とされ、「唐船(中国船)」とされました。

ペリー以前からやってきていた“黒船”

その後ロシアの千島列島進出が活発化すると、松前藩の力だけではどうにもならないと江戸幕府は判断し、天明5(1785)年に国後、択捉などの北方領土と千島列島に役人を派遣し、実地調査を行います。

そして寛政4(1792)年ロシア皇帝エカテリーナ2世の国書を携えた陸軍中尉のラクスマンは、伊勢の船頭で漂流民としてロシアに保護されていた大黒屋光太夫を伴い根室にやってきます。江戸に出向いて通商交渉するためでした。

時の老中は吉宗の孫にあたる松平定信ですが、鎖国は国法で江戸への来航は許可できない。交易の交渉は長崎で行うとし、結局ラクスマンは帰国を余儀なくされます。

ラクスマンなどロシアの南下の動きに幕府は神経をとがらせ、千島、樺太を含む蝦夷地を幕府直轄領とし、択捉島以南の島々に番所を設け、南部藩と津軽藩に守備を命じます。

文化元(1804)年ロシア外交官レザノフが幕府の回答に基づいて、長崎に来航します。通商を求めるレザノフを幕府はのらりくらりかわし、半年近くも待たせて結局拒絶します。これに怒ったレザノフは武力での交渉打開を考え、部下に文化3(1806)年樺太の松前藩番所を、文化4(1807)年択捉島の松前藩番所を攻撃させています。これを文化露寇といいますが、幕府は箱館から松前に奉行所を移し対応にあたっています。この事件を契機に異国船を穏便に出国させる「薪水給与令」が「ロシア船打払令」に変更されています。ペリーがやってくる以前からたびたび「黒船」はやってきていたわけです。

松前城 kiyo@Adobe Stock

「ゴローニン事件」と日露交渉で活躍した高田屋嘉兵衛

そして文化8(1811)年「ゴローニン事件」が起きます。艦長ゴローニンが乗るロシア艦隊のディアナ号が千島列島の沖合を測量中、薪や水の補給を求めて国後島に立ち寄りました。国後島で守備をしていた松前藩兵は「ロシア船打払令」もあって艦長のゴローニンらを拘束し、松前へ送ります。以来ゴローニンは2年3カ月幽閉されることになります。

いっぽうゴローニンの部下でディアナ号の副艦長リコルドは翌年日本人漂流民を交換要員として国後島近海にやってきます。しかし、幕府側はゴローニンを処刑してしまったと拒否。怒ったリコルドは一隻の日本船を拿捕します。国後島と択捉島の間に航路を開き、アイヌの人々に漁法を教えていた高田屋嘉兵衛の乗る観世丸でした。

嘉兵衛はカムチャツカに連行されますが、彼自身の提案と進言もあって翌年ゴローニンとの交換で解放されます。嘉兵衛は、独学でロシア語を学び、そのロシア語を駆使して、日露間にとって一番いい解決法は何かを考えたのです。船頭としても一流でしたが外交官としても使える男だったのです。

「世界で最も聡明な民族」ロシア人艦長ゴローニンが日本人を評価

ゴローニンは松前で2年3カ月にわたって幽閉されました。その体験をまとめた著書『日本幽囚記』はロシアのみならずヨーロッパ各国で翻訳本が出され、そのなかで日本人を「世界で最も聡明な民族」と評価しています。つまり、ゴローニンはそれまで欧州の人々が、クリスチャンを迫害する野蛮民族としてきた日本人のイメージを覆したのです。

またゴローニンは、松前の人々にロシア語を教え、またロシア語の翻訳に携わり、日露の友好に努力しています。

その後プチャーチンが長崎に来航し、困難な交渉のすえ日露の国境を定めた日露和親条約が定められたのは安政元(1855)年のことでした。

現在北方領土問題という大きな課題を抱える日露関係ですが、ゴローニンと高田屋嘉兵衛の時代から信頼関係が培われてきたことを忘れないでほしいと思います。

松前城 oben901@Adobe Stock

【松前城】別名・福山城(ふくやまじょう)
慶長11(1606)年松前藩初代藩主・松前慶広が福山館という陣屋を築城。それから約240年後、幕府は蝦夷地警備のため、松前藩に築城を命じ、藩主・松前崇広が福山館を改修するかたちで安政元(1854)年に完成した。設計は高崎藩の軍学者だった市川一学。戊辰戦争や太平洋戦争の戦火を免れ、国宝に指定されたが、1949年の松前役場の火事からの延焼で焼失。1961年に天守閣が再建され資料館となっている。
公開時期:4月10日~12月10日
入館時間:9~17時
入館料:大人(高校生以上)360円、小中学生240円
住所:北海道松前郡松前町字松城144
電話:0139-42-2216

【ヴァーシリー・ゴローニン】
1776~1831。ロシア帝国海軍軍人。ロシア軍艦ディアナ号で世界一周の航海を果たした後、千島列島の測量中、国後島に上陸した際に南部藩の守備兵に捕らえられる。松前で幽閉されるが、ディアナ号副艦長リコルドが国後島で高田屋嘉兵衛を捕らえ、捕虜交換というかたちで釈放された。松前での幽閉生活は『日本幽囚記』(1816年)という本にまとめ、ロシアのみならず、多くのヨーロッパの人々に影響を与えた。

松平定知さん

松平定知 (まつだいら・さだとも)
1944年、東京都生まれ。元NHK理事待遇アナウンサー。ニュース畑を十五年。そのほか「連想ゲーム」や「その時歴史が動いた」、「シリーズ世界遺産100」など。「NHKスペシャル」はキャスターやナレーションで100本以上担当。近年はTBSの「下町ロケット」のナレーションも。現在京都造形芸術大学教授、國學院大学客員教授。歴史に関する著書多数。徳川家康の異父弟である松平定勝が祖となる松平伊予松山藩久松松平家分家旗本の末裔でもある。

※トップ画像は「Webサイト 日本の城写真集」

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