32万石に加増、“昇給率”は4000倍!
大坂冬の陣、夏の陣では先鋒を務め、32万石に加増されるとともに勇敢な戦いが認められ「譜代の先鋒は井伊、外様の先鋒は藤堂」が、徳川の軍法となります。
家康臨終の際には枕元にいることを許され、秀忠、家光の両将軍にも仕え、ある意味、譜代大名以上の存在になっていました。能力のあるものには忠義を尽くし、そうでないものには義理立てしない。ドライかもしれませんが、戦国から江戸という時代を生き抜く知恵が詰まっていて、現代のビジネスマンにも参考になるのではないでしょうか。なお、初任給が3番目の主君・磯野員昌の時で80石でしたから、昇給率は4000倍!! です。
「高虎以来の裏切り上手」
藤堂藩(津藩)は改易されることもなく、幕末を迎えますが、鳥羽伏見の戦いの際、幕府側不利と見るや薩長軍に寝返り、官軍の勝利に大きく貢献します。この藤堂藩の裏切りを「さすが藤堂、高虎以来の裏切り上手」と都の人々は揶揄したといいますが、成功者の高虎は天国で「言わせておけ」と笑ったかもしれません。
【伊賀上野城】(別名・白鳳城)
天正13(1585)年に筒井定次が築城。定次が改易後に三重の天守閣が倒壊、慶長3(1608)年に伊予から入った藤堂高虎によって、慶長16(1611)年に大改修された。当時は徳川家康と大坂城の豊臣秀頼との関係が緊張を増し、大坂への備えとして五層の天守閣も建設が進められたが、暴風により倒壊し、復元されなかった。現在の天守は地元出身の代議士、川崎克(かわさきかつ)が私財を投じて昭和10(1935)年にできたものだ。
登閣料:大人600円、小人300円
開館時間:9~17時
休館日:12月29日〜31日
住所:三重県伊賀市上野丸之内106
電話:0595-21-3148(伊賀文化産業協会)
【藤堂高虎】
とうどう・たかとら。1556~1630年。近江の小土豪の次男に生まれ、主君を次々と変えることで最終的には伊勢、伊賀合わせて32万石の大大名に出世した。無給の身(初任給は3人目の磯野員昌に仕えた時の80石)からなんと4000倍になる。本人も「武士は七度主君を変えねば一人前とは言えぬ」と言ったとされる。城作りの名人で、伊賀上野城のほか津城、篠山城、膳所城、今治城、宇和島城などを作った。伊勢津藩(安濃津藩[あのつはん]とも呼ばれる)の初代藩主。
松平定知 (まつだいら・さだとも)
1944年、東京都生まれ。元NHK理事待遇アナウンサー。ニュース畑を十五年。そのほか「連想ゲーム」や「その時歴史が動いた」、「シリーズ世界遺産100」など。「NHKスペシャル」はキャスターやナレーションで100本以上担当。近年はTBSの「下町ロケット」のナレーションも。現在京都造形芸術大学教授、國學院大学客員教授。歴史に関する著書多数。徳川家康の異父弟である松平定勝が祖となる松平伊予松山藩久松松平家分家旗本の末裔でもある。
※トップ画像は「Webサイト 日本の城写真集」