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「我レカクアルベシ。照覧アレ」

もうひとつの理由としては、若者をオルグする新興宗教の教義の明快かつ短絡的であることが挙げられよう。

どれもおしなべて、そのテーゼとするところは、世界終末思想もしくは神秘主義である。古来こうした主義思想が宗教の核の一部を形成していることに異論はないが、宗教家の宗教家たる所以ゆえんは、世の終りを説き、秘蹟を顕わしながらもなお、信者たちに普遍の幸福を与えようと努力してきた点にある。

しかし、多くの新興宗教が信者にもたらすものは、奇矯な結婚であり、シュプレヒコールであり、集団生活である。それらの是非はあえて問うまい。が、少くともそうした信者の姿が、普遍の幸福から乖離(かいり)していることは紛れもない事実であろう。

あまねく人々に普遍の幸福を与えようとした釈迦やキリストの偉大さに、彼らはなぜ気付かぬのであろうか。

終末思想や神秘主義は明快である。何だか良くわからんが、哲学の入りこまぬ分、明快なのである。世の中の基本的な構造を知らぬ若者たちにとって、これはほとんど麻薬に等しい。すなわち面倒な教義を確立するよりずっと手っとり早いから、新興宗教はおしなべて世の末を語り、秘蹟を見せるのであろう。

そうしたものに興味を覚え、いとも簡単に入信する若者たちには、先に述べたもうひとつの事情がある。みなさんけっこう幸福なのである。

つまり、釈迦やキリストがあえて世の末を語り、秘蹟を顕わさねば救いようのなかった人々など、少くとも今の日本にはめったにおらず、実はみなすでに普遍の幸福を生れながらにして享受しているのである。

今や人類が数千年にわたって希求してきた普遍の幸福は、先進諸国においてはほぼ実現できたと言えるであろう。

宗教においてしか救うことのできなかった苦悩は、科学の手に委ねられたと言える。あとは社会と個人の余力を肉体的地域的ハンデキャッパーに向ければ、かつての偉大な宗教家が理想とした世の中は実現するであろう。

だから私は、新興宗教の存在そのものよりも、あえて新たな宗教を起こそうとするその動機を疑うのである。

彼らの教義を良くは知らない。しかし信徒のひとりひとりに約束された普遍の幸福を寄進させてまで、さらなる幸福を与える力が宗教にあろうとはどうしても思えない。

仮に既存の宗教には決してなしえなかったパワーがそれらの教祖様にはあり、祈り信ずればさらなる幸福が約束されるとしたなら──それは祈りさえすれば煩悩までも満たされるという悪魔の教えだ。

と、こういうわけで私は信仰心というものをてんで持たない。

ところが、ものすげえ自己矛盾なのであるが、神社仏閣に詣でることを好む。手を浄め口をすすぎ、ちゃんと分相応の賽銭も投げて古式ゆかしく参拝をする。興がのればガキの頃に習い覚えたノリトの一発もカマし、題目を唱え、垢抜けた十字も切る。

つまり、信仰心はてんでないのだが、根は嫌いじゃないのである。だがしかし、どんな時でも、ああしてくれこうしてくれと頼み事をしたことは一度もなかった。

ちょっとキザだが、いつも「我レカクアルベシ。照覧アレ」てなことを祈る。

ためしにやってみるとよい。これは、効く。

(初出/週刊現代1995年4月15日号)

『勇気凛凛ルリの色』浅田次郎(講談社文庫)

浅田次郎

1951年東京生まれ。1995年『地下鉄(メトロ)に乗って』で第16回吉川英治文学新人賞を受賞。以降、『鉄道員(ぽっぽや)』で1997年に第117回直木賞、2000年『壬生義士伝』で第13回柴田錬三郎賞、2006年『お腹(はら)召しませ』で第1回中央公論文芸賞・第10回司馬遼太郎賞、2008年『中原の虹』で第42回吉川英治文学賞、2010年『終わらざる夏』で第64回毎日出版文化賞、2016年『帰郷』で第43回大佛次郎賞を受賞するなど数々の文学賞に輝く。また旺盛な執筆活動とその功績により、2015年に紫綬褒章を受章、2019年に第67回菊池寛賞を受賞している。他に『きんぴか』『プリズンホテル』『天切り松 闇がたり』『蒼穹の昴』のシリーズや『日輪の遺産』『憑神』『赤猫異聞』『一路』『神坐す山の物語』『ブラック オア ホワイト』『わが心のジェニファー』『おもかげ』『長く高い壁 The Great Wall』『大名倒産』『流人道中記』『兵諌』『母の待つ里』など多数の著書がある。

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おとなの週末Web編集部 今井
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