×

気になるキーワードを入力してください

SNSで最新情報をチェック

“犬猿の仲”の南部藩と津軽藩

南部藩と津軽藩は、江戸時代を通して犬猿の仲で、津軽氏の参勤交代は南部領を通らなかったとか。戊辰戦争でも、南部が幕府軍、津軽が幕府軍から寝返って新政府軍につき、野辺地戦争が起こっています。

そんなこともあって、現在でも青森県西部の津軽地方と東部の南部地方は仲が悪いといわれますが、津軽弁と南部弁が違うように、文化も違うことは確かです。

盛岡城の渡雲橋の風景 nameyasu@Adobe Stock

【盛岡城】(別名・不来方城、こずかたじょう)
慶長2(1597)年、南部信直が嫡子利直に命じて築城開始。縄張りは豊臣政権の五奉行筆頭だった浅野長政の助言があったと伝えられ、守りやすい北上川と中津川の合流点に突き出した丘陵を選んでいる。何度か洪水に見舞われながらも寛永10(1633)年に完成。以来明治の廃藩置県まで南部氏の居城となった。明治7(1874)年に破却され、建物に面影となるものはないが、大きな花崗岩を使った石垣は美しく、会津若松城、白河小峰城とともに東北の石垣三名城に数えられている。不来方城は盛岡城以前にあった城の名前。現在、盛岡市では建物の復元を目指している。
住所:岩手県盛岡市内丸1-37

■彦御蔵(ひこおくら)
盛岡城の遺構で江戸時代から残る唯一のもの。木造の2階建てで外壁は漆喰塗りで床面積は約360平方メートル。

■石川啄木歌碑
「不来方のお城の草に寝ころびて 空に吸はれし 十五の心」は啄木が学校を逃げ出し、読書にふけった心境を読んだもので、盛岡城跡公園二ノ丸にある。書は友人だった言語学者でアイヌ語研究で知られる金田一京助のもの。

【南部信直】
なんぶ・のぶなお。1546~1599年。清和源氏武田氏の流れを汲む南部氏の第26代当主。南部氏は、源頼朝から現在の山梨県南部町に所領を与えられた南部三郎光行から興る。中興の祖といわれる信直だが、後継者を巡って争いが絶えず、家督を継いだ後も一族の九戸政実の乱や大浦為信(後の津軽為信)の津軽切り取りなどがあり、不安定だったが豊臣秀吉に近づくことで不満分子を抑え安定化を図った。

松平定知さん

松平定知 (まつだいら・さだとも)
1944年、東京都生まれ。元NHK理事待遇アナウンサー。ニュース畑を十五年。そのほか「連想ゲーム」や「その時歴史が動いた」、「シリーズ世界遺産100」など。「NHKスペシャル」はキャスターやナレーションで100本以上担当。近年はTBSの「下町ロケット」のナレーションも。現在京都造形芸術大学教授、國學院大学客員教授。歴史に関する著書多数。徳川家康の異父弟である松平定勝が祖となる松平伊予松山藩久松松平家分家旗本の末裔でもある。

※トップ画像は「Webサイト 日本の城写真集」

icon-gallery
icon-prev 1 2 3
関連記事
あなたにおすすめ

この記事のライター

松平定知
松平定知

松平定知

最新刊

全店実食調査でお届けするグルメ情報誌「おとなの週末」。11月15日発売の12月号は「町中華」を大特集…