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時代に翻弄された3台目

1921(大正10)年から翌年にかけてアメリカで行われたワシントン会議での海軍軍縮問題の討議の結果、日本を取り巻く世界情勢は大きく変わることになった。それまで良好な関係を築いていた日英同盟を、アメリカはイギリスに対して存続しないように求めた。日本は、日英同盟を存続させたい思いから、イギリス側とさまざまな交渉を重ねた。その交渉の一つが、イギリス製自動車の購入だった。当時の宮内省は5台の購入契約を結び、このうちの1台は、昭和天皇(当時は、裕仁皇太子)が、昭和の「天皇」となられてからも乗り続けた「ダイムラー・リムジン」であった。

裕仁皇太子の時代から「昭和天皇」となられたのちも乗り続けた1923年式のイギリス製「ダイムラー・リムジン」。クルマから降りる人物が昭和天皇=1927(昭和2)年12月25日、武蔵陵墓地(現・東京都八王子市)ご休所、写真/宮内公文書館蔵

防弾改造された4台目

1923(大正12)年12月、帝国議会開院式に向かう摂政宮裕仁親王時代の昭和天皇が乗ったクルマが、突如、狙撃される暗殺未遂事件が起きた。世にいう「虎ノ門事件」である。ただちに、クルマと馬車に“防弾装甲”を施すことになった。改造したクルマは、大正天皇と、摂政宮裕仁親王時代の昭和天皇が兼用車として使用していた、1920年式の「ロールスロイス・リムジン」だった。このクルマは、日英同盟を存続させるための画策として、イギリスから購入した5台のうちの2台だった。

当時は御料車3号または4号を名乗っていた1920年式「ロールスロイス・リムジン」の御料車。日英同盟の存続に翻弄されながら、1921(大正10)年9月15日に当時の宮内省が購入した5台のうちの2台このクルマだった=写真提供/宮内庁
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5台目は、昭和の一時代を築いた御料車...
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工藤直通
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