御料車は国産で
1965(昭和40)年9月、昭和天皇は「御料車を国産化できないか」というご意向を示された。これを受けた宮内庁は、自動車工業会へ“御料車の製作”を打診した。依頼を受けた自動車工業会は、上皇陛下が皇太子殿下であった当時、皇室に自動車を献上した実績もあるプリンス自動車工業(現在の日産自動車)が、製作を担うことになった。
開発は、昭和天皇のお気持ちに沿うべく、「外観は親しみやすく、内・外装は華美を避け、できるだけ簡素に」をコンセプトに、「安全で確実に走行できるクルマ」を目指すことになった。1966(昭和41)年7月には、試作車が完成し、車名は会社名のプリンスを冠し「プリンスロイヤル」とした。その年の10月に開催された「第13回東京モーターショ―」にも出品、展示され、当時は皇太子殿下であった上皇陛下も会場を訪れ、ご覧になられた。
宮内庁へは、1967年(昭和42)年2月に第1号車が納車されたが、この時点でプリンス自動車工業は、日産自動車と企業合併していたため、車名は「ニッサン・プリンスロイヤル」として納車された。
納車第1号は昭和47年
1967(昭和42)年の第1号車の納車以降、1972(昭和47)年までの間に、宮内庁へ納車した台数は5台で、そのほかに外務省へ貴客用車として2台が納車された。当時の納入価格は、製作年次や仕様にもよるが、1000万円から2280万円だった。昭和天皇は“プリンスロイヤル”を大変お気に召したといわれ、国内各地へのお出ましでは常に使用していた。最後のご乗車となったのは、1988年(昭和63)年9月8日の那須御用邸からのお帰りの時だった。