「世におそろしきものは徳川と黒田なり」
秀吉の軍師として活躍した孝高ですが、秀吉はその知謀がいつの日か自分に向けられるのでは?と思うようになっていきます。
「儂に代わって天下を治めるのは誰だと思うか」の問いに家臣たちは、前田利家や徳川家康の名を挙げましたが、秀吉は「官兵衛だ」と言ったという話が伝わっています。これを伝え聞いた孝高は、「このままでは殺される!」と思い、秀吉のもとを去り、家督を息子の長政に譲ります。この身の処し方ひとつとっても、彼の鋭さがわかります。
しかし、天下への意識は秀吉の死後頭をもたげます。関ヶ原の合戦のあと、勝った家康と日本一をかけて「優勝決定戦」をしようと試み、準備を進めますが、関ヶ原の合戦が1日で終わったことで、断念したという話も残っています。
「世におそろしきものは徳川と黒田なり。されども徳川は温和の人なり、黒田はなんとも心をゆるしがたきものなり」と秀吉に言わしめた黒田孝高は、家康が徳川幕府を開いた翌年、亡くなります。享年59。
【姫路城】(別名・白鷺城、はくろじょう、しらさぎじょう)
1580(天正8)年、羽柴秀吉の中国攻略にあわせ、黒田孝高が姫路城を献上、秀吉が三層の天守閣を築き、翌年完成。おね(北政所)の兄、木下家定が城主を務めた後、関ヶ原の戦いが起こり、中立を守った家定は出家した。城主となった池田輝政が大改築をはかり、1618(元和4)年、本多忠政時代にほぼ完成する。昭和、平成と大修理を受け、現在の偉容を誇る。1993(平成5)年、ユネスコの世界文化遺産に登録。
入城料金:大人1000円、小人300円(小学生・中学生・高校生)
開城時間:9~17時(閉門は16時)
休城日:12月29、30日
住所:兵庫県姫路市本町68番地
電話:079-285-1146(姫路城管理事務所)
【黒田孝高】
くろだ・よしたか。1546~1604年。通称は官兵衛、出家後は如水と称す。秀吉の側近、軍師として仕え、特に調略に長けていた。同じく秀吉の参謀だった竹中半兵衛とともに両兵衛と称された。ドン・シメオンの名を持つキリシタン大名でもあった。
松平定知 (まつだいら・さだとも)
1944年、東京都生まれ。元NHK理事待遇アナウンサー。ニュース畑を十五年。そのほか「連想ゲーム」や「その時歴史が動いた」、「シリーズ世界遺産100」など。「NHKスペシャル」はキャスターやナレーションで100本以上担当。近年はTBSの「下町ロケット」のナレーションも。京都芸術大学教授、國學院大学客員教授。歴史に関する著書多数。徳川家康の異父弟である松平定勝が祖となる松平伊予松山藩久松松平家分家旗本の末裔でもある。
※『一城一話55の物語 戦国の名将、敗将、女たちに学ぶ』(講談社ビーシー/講談社)から転載
※トップ画像は「Webサイト 日本の城写真集」