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「このはしわたるべからず」なのに渡れた理由は…

ある日、和尚さんのお使いであるお屋敷に向かった一休さん。お屋敷の手前の橋のたもとに何やら人が集まっています。そこには「このはしわたるべからず」と書いた立て看板が。みんなが橋を渡れず困っていました。一休さんはしばらく考えていましたが、ついに橋の真ん中を堂々と歩いて行きました。お屋敷から出てきたご主人は「こら!看板が見えないのか!」と怒ります。ところが、「はしを渡ってはいけないというから、はしっこではなく真ん中を渡ってきました」と言う一休さん。その言葉に「うううん。これは参った」とご主人。それ以来、ご主人が意地悪をすることがなくなったそうです。おしまい。

「端渡るべからずだったので、真ん中を渡りました」で大人も降参(illustAC)

なんだか、言葉尻を捉えたあげ足取りにも聞こえますが、こういったことは日常の中にもたくさんあるような気がします。ただ、問題解決のためには視点を変えてみたり、物事の側面を見ることも大切なこと。

「とんち」が世界を救うかも?

最近、電車の中や路上などで、ほんのちょっとしたことで喧嘩が始まる場面を見かけることが多くなりました。世の中いろいろな情報や噂が溢れ、なんとなくみんながイライラしているのもわからないでもありません。ともすると「カチン」ときてしまうことでも、こんなふうにとんちの利いた切り返しで、「上手に交わす」「上手に切り抜ける」ことができたら痛快だし、お互いに笑って済ますしかなくなるのではないでしょうか。もしかしたら「とんち」が世界を救うかも!?

最後に余談ですが、ネット検索で出てくる一休宗純の絵が、ミュージシャンの忌野清志郎さん(1951~2009年)にしか見えて仕方ないのは私だけでしょうか(笑)。研究家の間では、破天荒で自由奔放ながら聡明な人物であったと言われている一休宗純と清志郎さん、なんとなく共通点もありそうです。

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おとなの週末Web編集部
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