神田川沿いで見る歴史ある橋4選
【水門橋】
■長さわずか2mほど神田川最初の橋
井の頭池が神田川へと注ぎ込むところにある、井の頭公園内の小さな石橋。上流側には“水門”であることを主張するかのように石が門型に組んである。当たり前だが、神田川でもっとも上流にある橋だ。
【戸田平橋】
■高田馬場駅の雑踏からどこか隔離されたような場所
四畳半フォークの代表作『神田川』の作詞家である喜多條忠氏が、この近辺に学生時代住んでいたことから、その歌の舞台であるといわれている場所。残念ながら三畳一間の下宿も横丁の風呂屋も今はもうない。
【水道橋】
■野球とプロレスの聖地は水道の聖地でもあった
江戸の飲料水としての神田上水が、その枝分かれした本流である神田川の上を渡る掛樋(今でいう水道橋)があった場所。その掛樋が描かれた江戸名所図会の銅板レリーフが今の水道橋に飾られている。
【柳橋】
■江戸時代の花街にかかる神田川で最下流の橋
橋の名前としてより、時代小説などに登場する花街の地名として有名。江戸時代から高度成長期までは東京を代表する歓楽街。伊藤博文ご愛用の料亭もあった。写真の橋は柳橋から見たひとつ上流の橋『浅草橋』。