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閑散としていた新幹線との乗り換え駅

北海道新幹線には、本州最北端の新幹線駅として「奥津軽いまべつ」駅がある。この駅ができる前は、青函トンネルへとつづくJR北海道の路線として津軽海峡線の「津軽今別駅」があった。この駅と隣接するように、津軽線の駅「津軽二股駅」がある。この二つの駅は、同じ場所にありながら、異なる駅名を名乗っていた。

駅の開業は、国鉄(現JR東日本)の津軽二股駅が1968(昭和33)年であり、1988(昭和63)年に津軽海峡線(青函トンネル)の開業とともに津軽今別駅が誕生した。同じ場所にありながら、異なる駅名を名乗った理由は、海峡線が計画された当初は駅ではなく「新津軽二股信号場」としていたものを、地元からの要望により”駅”を造ることになり、その際の陳情により駅名を「津軽今別駅」としたため、先に開業していた津軽二股駅とは異なる駅名となったのだ。北海道新幹線の開業後も、それぞれに独立した駅のままであり、列車の時刻も相互に接続を取るようなダイヤにはなっていない。よって乗り換え案内が行われることもなく、それゆえに異なる二つの駅が存在することを、知らない人も多いのではなかろうか。

一日に停車する列車の運行本数は、新幹線が上下線合わせて14本で、津軽線の津軽二股駅も上下線合わせて10本しかなかった(運転見合わせ前)。目的もないままに一度駅を降りてしまうと、津軽二股駅前には「道の駅いまべつ半島プラザ・アスクル」があるだけで、ほかにこれといって何もなく、次の列車まで何時間も待ちぼうけとなるのは必至であった。

新幹線開業直後は、駅前から津軽鉄道の津軽中里駅(青森県中泊町)へと向かうバスが運行されていたが、現在は廃止となっており、事前予約制の乗合タクシーが運行されるのみである。駅前の「道の駅」も、北海道新幹線が開業する前は、現在のような飲食店や土産物店を併設する店構えではなかった。

JR津軽線・津軽二股駅のホーム。後ろの建物は駅舎ではなく、今別町が運営する道の駅「いまべつ半島プラザ・アスクル」である=2011年5月19日、青森県今別町
北海道新幹線の駅舎(奥津軽いまべつ駅)から見たJR津軽線の津軽二股駅(写真の中央左にホームが見える)。真ん中に写るシェルター状の通路(階段)は、海峡線時代にあった津軽今別駅のホームへと通じていたが、今は撤去され現存しない=2016年5月19日、青森県今別町

津軽今別駅の遺構

北海道新幹線の開業に伴い、津軽線との接続駅であった海峡線の津軽今別駅は、2015(平成27)年8月10日から全列車が通過扱いとなり、2016(平成28)年3月25日限りで廃止された。その後しばらくは、津軽二股駅から津軽今別駅へと続くシェルター(階段通路)だけが「旧駅遺構」のように残されていたが、現在は姿を消している。しいていえば、駅構内の片隅に海峡線開業時から存在する津軽二股保線基地があり、そこには保守用車(モーターカー等)の車庫が現存するなど、当時の面影がわずかに残されるにとどまる。

この保線基地の隣接地には、新たに北海道新幹線用の保守基地が建設され、周辺は一変している。これらの敷地の外れには、北海道新幹線が開業するまで「防災代用車両」なる客車が留め置かれていた。そんなことを思い出した方も、おられるのではないだろうか。

JR津軽線の津軽二股駅の線路を横断すると海峡線の津軽今別駅へと通じるシェルター(階段通路)があった=2011年5月19日、青森県今別町
海峡線の津軽今別駅を通過する青森駅行きの特急電車「白鳥」号。現在、この場所には北海道新幹線の「奥津軽いまべつ駅」が建っている=2011年5月19日、青森県今別町
津軽二股保線基地の片隅に置かれていた「防災代用車両」。これは青函トンネルの非常時に備えた救援用車両だった=2011年5月27日、青森県今別町
「防災代用車両」オハフ51形5004。元々は津軽海峡線の「快速・海峡号」で使用していた車両を転用したものだった=2012年8月12日、青森県今別町
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JR津軽線の今
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工藤直通
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