2Lエンジンを廃止
そのほかではエンジン。4ドアハードトップに搭載されるエンジンは2.5ℓと3Lの直列6気筒DOHCで、8代目まで設定していた2L、直6DOHCエンジンが消滅。クラウンは高級車ながら、買い得感の高さから2Lモデルの販売も無視できないレベルあったが、2LエンジンのニーズはマークII系に任せ、アッパークラスに専念となった。
あと、クラウンと言えば『ロイヤルサルーン』。この名称は5代目(1974~1979年)で初登場してその後クラウンの代名詞ともなるのだが、9代目クラウンでは4ドアハードトップがロイヤルシリーズとなった。前述のマジェスタ、アスリートとともにロイヤルシリーズとして独立したかたちだ。
至れり尽くせりのクラウンらしいインテリア
インテリアに目を移すと安定のクラウン。当時としては最上級の豪華さ、GPSをはじめとする贅沢な内装をうまく演出してユーザーの満足度は高かった。インパネも一世を風靡したデジパネに加えてアナログタイプも用意。若者に媚びないクラウンとなったのだ。
最大のライバルは日産のセドリック/グロリアブロアムV30。クラウンの最上級モデルの3.0ロイヤルサルーンが364万円に対しセド/グロは350万円。クラウンが16万円高かったが、エンジンはクラウンが230ps/26.5kgm、セド/グロが200ps/26.5kgmと30psの余裕。さらにセド/グロが運転席のみがパワーシートだったのに対し、クラウンは助手席もパワーシートを標準装備し、当時の必須アイテムのCDプレーヤーを標準装備していた。室内スペースもクラウンのほうが広く、ウッドなどを多用するなど、高級感は断然上だった。クラウンの5速ATはスムーズで、ファイナルギアはハイギアード化されていたので静粛性に優れていて、燃費性能も優れていた。
マイチェンで復活したことが進化を止めた
デビューから2年経過した1993年8月に不評だったデザインを一新するビッグマイチェンを敢行。前後を絞り込んだデザインは変更のしようがなかったが、横桟グリルからクラウン伝統の行使グリルに変更。さらにリアコンビランプに8代目のデザイン意匠を取り入れ、ナンバープレートの位置もバンパー中央からテールセンターに移動された。デビュー時に取り払われていたCピラーの王冠マークも復活させた。
マイナーチェンジながら、誰もが考える8代目までのクラウンのイメージを盛り込んだ変更により販売が劇的に回復したのだ。これがトヨタの凄いところだが、旧来のイメージに戻したマイチェン後のモデルが成功したことにより、クラウンのデザインはチャレンジングに変更してはダメというのが決定的となった。
トヨタがクラウンを変えることに憶病になったわけではないが、動かしようのない事実を前に1995年に登場した10代目は8代目、9代目のマイチェン後のデザインからキープコンセプト。しかも成功を収めたから、やっぱりクラウンは変えてはいけなかったのだ。
クラウンの劇的なコンセプトチェンジは2003年登場の12代目クラウン、通称ZEROクラウンまで待たなければならなかった。もし、9代目クラウンが成功していれば、クラウンの歴史は変わっていたかもしれない。







