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紆余曲折あった御陵線のルート決定

京王電鉄の前身である京王電気軌道は、1926(昭和元)年12月に府中駅~東八王子(現・京王八王子)駅とを結ぶ玉南電気鉄道と合併して、新宿駅~東八王子駅と調布支線の営業運転を行っていた。その延長線として1927(昭和2)年1月に御陵線の軌道敷設免許を出願した。3社3路線が多摩御陵を目指していたことは前述のとおりだが、無事に免許が下付されたのもつかの間、路線のルートを巡って八王子市会の陳情という名の反対を受けてしまう。

東京府会議員らは計画ルートに賛成はしたものの、八王子市会議員らからは都市計画道路上に線路を敷設するのは問題ないが、専用線として新たに用地を占有すれば環境破壊や市民生活に及ぼす影響が大きいとして、反対を唱えた。結果、実地測量や設計もままならず、工事認可申請は1929(昭和4)年6月まで延期という事態となった。1928(昭和3)年5月以降、京王電気軌道と八王子市会との協議は幾度にも及び、同市会からは現在線の一部を廃止して、途中の長沼駅よりルート変更する案や、1929(昭和4)年3月には八王子市会で決議された線路変更案(八王子市最東端を通過)が提示されたが、京王側は工事費増大を理由にこれを受け入れなかった。

京王側は、1928(昭和3)年8月に最終的な開業ルートとなる「東廻り案」を市会に提示するも、市会側はさらなる希望条件(中央線とは計画よりも東で交叉し、さらに西側約150軒を通過し、萩原橋を立体交差するなど)を突き付けた。これには甚だ過大すぎるとして、京王側は受け入れを拒否した。そうしたなか、京王側では水面下で東廻り案(北野駅~御陵前間)を推し進め、工事施工認可申請の準備に着手していた。

1929(昭和4)年5月、京王側は起点を東京府八王子市明神町から同府南多摩郡由井村に変更し、東廻り案を固持。府県道及び国道とは立体交差にするなど市側の反発を避ける策を講じて、ようやく翌1930(昭和5)年3月に「工事施工認可」を受けるに至った。軌道敷設免許の出願から計画決定まで、実に3年もの時間を費やした。

八王子市会から提案のあった現在線の一部を廃止して、途中の長沼駅よりルート変更する案と、同市会で決議された線路変更案(八王子市最東端を通過)が示された路線計画図=資料/国立公文書館蔵
旧案と東廻り案とで路線ルートが検討されたことがわかる計画図=資料/国立公文書館蔵
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