×

気になるキーワードを入力してください

SNSで最新情報をチェック

政府の命を受け運輸営業休止

戦時中は、企業整備という名の政府要請(線路などの鉄材を戦時物資として供出)によって「不要不急路線」に指定された鉄道路線がいくつもあった。御陵線もその一つで、止むなく1945(昭和20)年1月20日から電車の運行を取りやめ、レールなどを取り外し供出した。休止後の8月2日未明には、八王子空襲によって多摩御陵前駅は被災し、消失した。この時、大正天皇の多摩御陵も一部被害を受けていた。

1948(昭和23)年6月には、大東急の解体により休止中の御陵線も京王帝都電鉄の所属となった。時を同じくして武蔵横山停留場(駅)付近の地元民からは「復活要望」の声があがったが、他の駅の地元民はあまり積極的に要望しなかったという。当時の東京陸運局の調査報告書には、御陵線の現状が記され、線路と駅舎はなく、橋梁その他復活する場合には取り替える必要があるので、新線敷設とほぼ同様の状況と書かれていた。

その後も“休止措置”は復活への望みをかけて延命措置がとられ、1951(昭和26)年9月、1953(昭和28)年9月、1955(昭和30)年9月と多年にわたり延期された。京王帝都電鉄は、「沿線の要望、御陵参拝客、高尾相模湖方面の行楽客の便を図るため、近い将来復活したいが、現営業線の整備未完成のため、これらの完成後に復活したい。」と休止延期の理由を述べている。

度重なる休止延期は、1957(昭和32)年9月、1960(昭和35)年9月にも許可され、1957(昭和32)年7月には京王帝都電鉄が復活計画を策定し、運輸省へ報告している。そこには、第1期=北野~片倉間1.8km昭和35年着工、第2期=片倉~多摩御陵前間4.6km昭和38年着工とあり、用地は全線にわたり確保、橋梁・橋脚は既存、橋桁は横山架道橋ほか1か所の橋桁を除く全部確保、築堤は若干の補修を要す、停車場は全部新築と書かれていた。しかし、思うように事は進まず、さらに1964(昭和39)年9月まで休止措置は延期された。復活着工も、第1期が1963(昭和38)年、第2期が1964(昭和39)年と繰り延べになっていた。

この当時の資料には、「復活計画路線図」なるものが存在し、北野0k000m、西北野0k800m、南八王子(片倉)1k840m、緑町2K500、小比企(山田)3K240m、散田4k050m 多摩横山5K020m、多摩御陵(東浅川駅至近)6k100m、浅川(高尾)7K140m、小名路8k100m、高尾口9k200mと、御陵線の一部区間を上書きするようにその後の高尾線の構想が記されていた。しかし、休止となっている御陵線の他の区間(武蔵横山~御陵前間)が点線で描かれ、廃止を予見していたかのような書きぶりだった。

1963(昭和38)年3月になると、山田町~高尾山口間4.91kmの地方鉄道免許申請が行われ、御陵線の復活が一歩前進したかのように思われた。残念ながらその申請内容には、「現在休止中の御陵線(北野~多摩御陵前間)の再開をかねてより検討してきたが、八王子市の将来計画にあわせて旧路線を一部変更したい」とあり、新路線の駅名は北野停車場、京王片倉、(御陵線)旧山田駅、八王子台停車場(現・めじろ台駅)0k590m、狭間停留場2K140m、高尾停車場3k140m、高尾山口停車場4k910mと書かれていた。山田町~高尾山口間の新線計画は、1964(昭和39)年6月17日付で敷設免許が下付された。

この高尾線計画を強く後押ししたのは、高尾線乗り入れに関する陳情を行っていた八王子市長らで組織する“京王帝都電鉄高尾線乗入貫徹期成同盟”であり、過去、御陵線の建設計画では嫌悪関係にあった相手方でもあった。御陵線の休止延期はその後、1966(昭和41)年9月まで行われたものの、御陵線の一部である北野~山田町間3.8kmは、高尾線に振り替える区間として存置し、山田町~多摩御陵前間の2.6kmは1964(昭和39)年8月に廃止することを申請し、同年11月26日付で正式に廃止することが決定した。

その廃止理由には、休止後20年が経過し、沿線住民はバス路線利用が定着しており、多摩御陵参拝客も年間30万人程度とバス輸送で充足できる状況にある。結果、廃止しても特に不便をおよぼすことはない、と結論づけられていた。廃線区間の残存物件(線路用地)は、都市計画道路への転用、高尾線建設用地の換地等として処理する方針が示された。

京王高尾線が計画当初のころの路線計画図。現在の線形よりも中央線寄りに計画されていることがわかる。そして御陵線の代替路線を意識した駅が記載されている=資料/国立公文書館蔵
新設される高尾線(申請線)が当初段階であった当時の路線略図。御陵線は休止中のままとなっていた=資料/国立公文書館蔵
御陵線の廃止が決定的となった高尾線の路線計画図=資料/国立公文書館蔵
御陵線の廃止申請書「地方鉄道運輸営業一部廃止許可申請書」。“一部廃止”としているのは、高尾線として生まれ変わる区間として御陵線が部分的に残るための措置だった=資料/国立公文書館蔵
次のページ
廃線跡をたどる
icon-next-galary
icon-prev 1 2 3 4 5icon-next
関連記事
あなたにおすすめ

関連キーワード

この記事のライター

工藤直通
工藤直通

工藤直通

最新刊

全店実食調査でお届けするグルメ情報誌『おとなの週末』。2026年5月15日発売の6月号では、「ビール…