日本一の高さを誇った旧・世界貿易センタービル
展望台から見おろす眼下には、東海道新幹線、東海道線、同貨物線、山手線、京浜東北線、モノレールがひっきりなしに、右に左にと通過していくそのさまは、鉄道大好き少年にとって夢のような場所だった。何時間でも飽きずに見入っていたことを、いまでもなつかしく思い出す。そんな旧・世界貿易センタービルもすでに解体され、その跡地では6つのビル(JRの線路側より、東京モノレール浜松町駅、世界貿易センタービル南館、バスターミナル、同本館、浜松町クレアタワー、みなと芸術センター)への「建て替えプロジェクト」が進行中だ。この場所には、もともと東京市電(路面電車→東京都電)やバスの車庫・工場などがあったところだ。
旧・世界貿易センタービルが完成したのは、1970(昭和45)年3月のことで、当時としては霞が関ビル(千代田区霞が関/36階建て147m=当時)よりも高い、日本一の高さを誇る40階建て162mの超高層ビルとして誕生した。しかし、翌年には、新宿区西新宿に京王プラザホテル(47階建て169m)が誕生したため、日本一だったのはわずか1年だけだった。旧・世界貿易センタービルは、2021(令和3)年6月限りで閉館し、2023(令和5)年3月までに解体された。
浜松町といえば、「旧芝離宮恩賜庭園」も都会のオアシスとして貴重な存在だ。江戸後期に紀州徳川家などの庭園を経て、明治になり皇族の有栖川宮家が所有し、1875(明治8)年に宮内省が買い上げて皇室の離宮となったものだ。その後、昭和天皇のご成婚を記念して1924(大正13)年に東京市(当時)に下賜され、「恩賜庭園」として一般に公開された。
ところで、浜松町に鉄道が通ったのはいつなのか。それは、1872(明治5)年の我が国最初の鉄道開業にまでさかのぼる。しかし、このときは通過する線路があっただけで、この地に駅が誕生したのは、それから37年後となる1909(明治42)年12月のことだった。品川駅から烏森駅(現・新橋駅)まで、東海道線とは別の線路(のちの山手線)が開業したときにできたのが「浜松町駅」だった。「浜松町」の由来は、元禄の時代、遠州国・浜松(現・静岡県浜松市)の出身者が、このあたりの名主となったことから、その土地を浜松町と呼んだことにはじまるという。
浜松町駅の海側には、江戸の時代から運河をはさんで大名の庭園や陣屋地があり、直接陸地が海(海岸)に接していたわけではなかった。以前、テレビ番組で浜松町駅の駅前通りが海(東京湾)に向かってゆるやかな下り坂になっているのは、線路の反対側が明治以前は海だったことから、その海岸に接していたためと解説していたが、どうもそうではなさそうだ。実態としては、線路をくぐるために道路を掘り下げただけであって、明治の鉄道開通当初は、ガードのあたりには踏切があったとされる。ちなみに、鉄道の線路は開通当初から築堤を築き、運河上を通っていたが、品川駅~烏森駅間の開業と同時に線路もかさ上げされ、新橋駅へとつづく高架線へと姿を変えた経緯がある。











