日本初の電車がお目見え
1890(明治23)年に東京・上野公園で第3回内国勧業博覧会が開催された。その目玉となる展示が、アメリカ製「路面電車」のデモンストレーション運転だった。この当時はまだ、電車は日本に存在していなかったこともあり、開催前から評判を呼んだという。この企画を行ったのは、渋沢栄一氏や大倉喜八郎氏らが設立した日本初の電力会社である「東京電燈」であった。
東京電燈は、1882(明治15)年に「電気利用」の宣伝をかねて、銀座通りに“アーク灯”を設置し、夜の街路に明かりを灯した会社でもあった。この電灯を一目みようと夜の銀座通りは、見物人でごった返したという。その東京電燈が、今度は電車を広く一般に知ってもらおうと、アメリカから路面電車を輸入したのであった。日本における電車運行の計画は、1887(明治20)年にはあったが、欧米諸国ではまだ試験中であることや、電気は危険といった考え方が明治新政府内にもあり、実現には至らなかった。
日本初となる路面電車の運行は、上野公園内の桜ヶ丘~車坂両大師前(寛延寺開山堂)間の約440mに線路が敷設され、線路幅は今の路面電車と同じ1372mmだった。博覧会の入場料が3銭だったのに対し、デモ運転への試乗料金は片道2銭、往復3銭だった。にも関わらず、期間中30万人もの人々が列をなして乗車したという。電車1両の定員は50人で、そのうち着席できたのは44人だった。この路面電車のデモンストレーション運転には、当時満11歳だった大正天皇のほか、明治天皇、英照皇太后ら皇室の方々も試乗した。
「銀座に電燈が灯ったと思ったら、今度は電気の力で車両を動かすのか」、と会場を訪れた人々は感心し、東京電燈も「馬糞で街を汚すこともなく、多少の風雨で運休する心配もない」と、路面電車の強みをPRしたという。東京電燈はこの年の11月、浅草公園に建てられた12階建ての「凌雲閣」という建物内に、1階から8階へと通じる「エレベータ」も設置して、世間の注目を浴びた。このエレベータも上野の路面電車と同じアメリカ製だった。
その後、本格的に電車が街なかを走るようになったのは、上野公園の出来事から5年後となる1895(明治28)年のことで、京都市内を走っていた「京都電気鉄道」による塩小路東洞院通~伏見町下油掛間の路面電車であった。いっぽう、東京に路面電車が走りはじめたのは、京都から8年後となる1903(明治36)年に新橋~品川間を結んだ「東京市電」が最初で、馬車鉄道から転身した路線であった。



