「方言について」
東京弁は土俗的な方言である
ほぼ1年の間、薪に臥し肝を嘗めつつ精進した結果(要するに競馬予想をしたり週刊誌のエッセイを書いたりして何とか食いつないだ結果)、本年は怒濤のごとく小説が刊行されることになった。
多くの読者には誠に信じ難い話であろうが、私は競馬予想家でもエッセイストでもなく、実は小説家だったのである。
1月末に光文社から『きんぴか』という変なタイトルの、弁当箱状の小説が出た。続いて2月上旬、徳間書店発行の季刊文芸誌「小説工房」に、「天切り松 闇がたり」と題する長篇が一挙掲載される。以降、年内につごう五冊の単行本が上梓される予定である。
CMはさておき、この2篇を執筆するにあたってたいそう苦慮した「方言」について、今回は書いてみたいと思う。
前者『きんぴか』には、東京弁、関西弁、北海道弁、鹿児島弁と、4種の方言が駆使される。東京弁は自前であり、関西弁はかつてしばらく潜伏しておったので問題はなかった。北海道弁と鹿児島弁はかなりいいかげんだが、小説そのものがコメディなので、むしろデフォルメし、戯画化するという方法を採った。
この手の小説のコツは、「読者がアタマにくる寸前で笑わせてしまう」ということであるから、おそらく北海道の読者も鹿児島の読者も、ムチャクチャな方言を笑って許して下さると思う。
ところが、一方の「天切り松 闇がたり」という小説は厄介だった。
「天切り松」と呼ばれた稀代の怪盗が、大正の初めから今日まで70何年にも及ぶ盗ッ人稼業のエピソードを、留置場の中で語りだすという、ブッちぎりの悪漢小説(ピカレスク)である。
主人公は絵に描いたような江戸っ子で、しかも「語り物」の形をとっているから、全篇これまさに古き良き東京方言の連続。もちろんシリアスな小説であるから笑ってごまかすわけにはいかない。
内心、(てめえが日ごろ使っている言葉なら良かろうがい)と、安易に書き始めたのであるが、筆の進むほどに自分の中から東京弁の失われてしまっていることに気付いた。しばしば亡き祖父母や父の口調を思い起こし、(こんなときババアは何て言ったっけ)と考えながら書き続けねばならなかった。
何とか自分の胸に喚起させようと、しばしば幼なじみと会って話したりしたが、同世代の口からも幼児に慣れ親しんだ言葉はほとんど失われていた。知らぬうちに、私たちの方言は滅びていたのである。
全国の読者にはたいへん意外なことであろうが、本来の東京弁は極めて土俗的な方言である。
「僕」は山の手言葉であって、東京弁ではない
巷間言われるところの、「との区別がつかない」とか、「ラ行の巻き舌」とかいう単純なものではない。たとえば「ひ」と「し」にしても、「し」を「ひ」と発音することはなく、「ひ」が「し」に変わり、しかも場合によっては、その「し」も消えて促音化する。つまり、「朝日新聞」は「あさししんぶん」とは言わず、「あさっしんぶん」なのである。
またあらゆる方言のうち最も特徴的な第一人称「私」について言えば、東京人のステータス・シンボルのように思われている「僕」という言い方は近代の造語、すなわち「山の手言葉」であって元来の東京弁ではない。
今でこそ誰もが抵抗なく多用するが、私が子供の頃は「僕ね」なんて言おうものならたちまち仲間はずれにされたものだ。正しくは「俺」、さらに一般的には「おれっち」「おれら」である。
後二者は「俺達」「俺等」で意であるが、なぜか原東京人は個人についてもこれを使用する。すなわち、「僕ね」は「俺ァ」と言うべきであり、さらに垢抜けした東京弁となれば「おれっち」に拗音と長音を組み合わせた「おれっちゃー」となる。
待てよ。「僕ね」の訳語としてはそれでもまだ不完全だ。これに東京弁の特徴である終助詞をつけ、かつ長音化すればよろしい。「おれっちゃーよー」。これでよい。
では、二人称の「あなた」は何となるか。この場合も「君」は口にしたとたんに失笑を買う山の手言葉である。「おまえ」は女言葉で、一般には「おめー」が正しい。一人称の用法と同様、「おめーっちゃーよー」という言い回しももちろんある。
ただし、東京弁は総じて語尾をキッチリと締めるので、「おめー」というより「おめい」というような気持で発音した方がきれいかもしれない。「おめいっちゃあよう」、である。
このあたりも、あまり締めすぎると落語的になり、長音のまましゃべると暴走族になるから難しい。